「おりる」思想を振り返る
おりたからといってすべてがなくなるというわけではない、どころか、おりて諦めても、捨てないで残る〝 なんか〟はある。たいていは「好き」が最後まで残る。だめだ、おしまいだと、どん底フレーズを連発しつつ、消去法で残った「好き」をずっと掴んで離さない。そのせいで八方ふさがりのだめ人間であるはずの「おりている人」が相対的に自由に見えてしまうのです。 おりるとは、本人の意図に反し、好きなことしかしないというポジティブな行動となる。 逆におりないとはどういう状態か想像してみるに、諦めない(立派な)人というのは、収入や社会的地位のために、好きを抑圧している(ちょっと我慢している)ことでしょう。おりない、諦めな...