老化にあらがうことにした

 遠くのものが見えないにプラスして、近くのものも見えなくなってきた、つまりちょうどいい距離のものしかはっきり見えていない。でもこれも歳だからしかたがない、いつまで若くないんだからと全面的に受け入れて、老眼鏡すら買っていません。

 小さい文字は部屋にある虫メガネを使って読んでいおります。完全におじいちゃんですな。52歳で虫メガネですぞ。

 老いは受け入れるもの。よく見えてなかろうと、お肌が乾燥してスーパーのレジ袋があけられなくても、そのほかあらゆる老いを受け入れて生きてきました。

 しかし最近それではいかんのではと思い始めるというか、どうにも受け入れがたいと感じるようになってきました。それは趣味のソフトボールでのこと、ボールを取ることより、落とすことのほうが多くなってきたのです。

 症状はどんどん悪化していき、グローブにかすりもしないということまで起こるようになる。どういうことかというと。

 外野フライが取れない。ボールはなぜか私の頭の上を通過して、かまえた位置とは関係のないところに、ぽとーんと落ちる。「打球が伸びた」といつも言い訳をしていますが、そんなはずはない。嘘つきおじさんです。でもチームメイトはやさしくて「ドンマイ」と励ましてくれるばかり、誰ひとり私を叱咤するようなことはありません。いつも生暖かいやさしさに包まれてます。

 打球はまったく飛ばない。打てば必ずショートゴロ。たまに相手がエラーで出塁すると、走ってセカンドベースにつく頃には、なぜか息切れをしている。打って、走って、疲れ果て、顔は土色、ゲーム中に死相が出とるのです。

 こういう悲惨な状況を省みて、いかがなものかと、自分の老化現象について思い悩み始めました。そして悩み始めてみると、自分の歩くスピードがすでに小学生の女の子よりも遅いことに気づきます。まだまだ高齢者になるには時間があるのに、敬老パス軍団と同じスピードで歩いていたのです。

 まずい。受け入れてはいけなかった。老化にはあらがわなくてはいけなかったのです。歳のせいにして受け入れてきたものすべてを返却することにします。歩くスピードが遅いと寿命が短いという俗説がありますが(そんなものはみじんも信じていませんが)それでもなんかこのままだと早々と死んでしまいな気がしてきました。見苦しくても、老化にあらがうことにする、若返ることにする。

 俺は市民ランナーになる! 横浜マラソンで7キロを60分以内で走れる50代のおじさんとして、10ヶ月後に市民ランナーデビューする。

 これからは私のことを良き市民ランナーと呼んでいただきたい。気持ちはもう市民ランナーになっています。まだ30秒くらいしか走れませんが、気持ちは60分走り切っています。

 30分走るには、30分歩けるようになってからと、マラソンの本に書いてあったので、まずはそこを目指そうと思います。簡単なようで、ずっと30分歩き続けるなんて普段はしないもの、やってみると疲れるし、汗まみれ、しかも歩いている間はたいそう暇です。家にある文鎮化していたメモリーウォークマンを再生化して使えるようにしたので、音楽を聞きながら歩くことにします。

 スタミナなんていらない、人間が生きるには、かたい瓶のフタを開けられる程度のパワーさえあれば充分と信じて、自己流のダンベル体操以外の運動はしてきませんでしたが、間違いであった、スタミナも必要なのです。

 六畳間で「老化にあらがう友の会」を結成しました。これからは唯一の会員として、市民ランナーとして、10ヶ月後の7キロ完走を目指しますぞ。

 追伸。ためしに一分間走ったら、死相が出てしまいました(死相ってこんな簡単に出るものなのかな)。左ひざと背中に違和感があります。痛いというほどではないけど、なんか異変を感じる。老化にあらがうのもイノチガケですのう。

コメント

  1. インドアの鬼たる引きこもりが市民ランナーを目指す…びっくりしました。
    私も引きこもりですが、50歳なんですが老化でなく、肥満で運動しなきゃいかんと母親に言われとります。引きこもりも歳とって老後考えんといかんのですね…今はすぐ死相が出るそうですがなんとか頑張って走れるよう祈っております。引きこもり名人たる勝山さんの生き様はこれからも引きこもりの生き方の参考になると思っております。これからも名人のプログレッシブな生き様を参考にさせていただきます。マラソン頑張ってください。私も減量の為に運動しょうと思います。

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