積ん読が人を不幸にする(パラパラ読書)

 太陽の光が自分一人をさんさんと照らし、小鳥たちが自分一人のためにさえずっている。なぜそんな気持ち(妄想)になれるのかというと、「積ん読」が一冊もなくなったからです。

 本というものはどんどんたまっていくもの。読みたい本が一冊だけ、なんてことは絶対なくて、あれもこれもと、特にブックオフに行ってしまうと安いこともあり、ついつい買ってきてしまう。積み重なっているところに更に積み重なることになる。

 積ん読とは読書の反対、つまり本を読まないことなのです。本を買うだけの愚かな消費行動なのです。

 読まない本を買うくらいなら、スーパーであきたこまちを買うほうがずっとまし。それが文人の取るべき行動です。この物価高のなか本を積み上げていっても、身も心も貧しくなるだけですぞ。

 本なんぞ積んでいないで、モリモリ読みたまえ。モリモリ以外は認めない。われわれはみな、やれば出来る子。すべての本を一気に読める子。本はモリモリ読んで、積ん読はすぐに解消しよう。

 でもどういうわけか、モリモリ読めるはずの子が、今はちょっと調子が悪くて、頭に文字が入ってこないとか、あれこれ言い訳をして、本を積み上げているのが現状。では、どうすべきか。

①これを言っちゃおしまいですが、挫折(敗北)して古本屋に売る。
 古本屋が高価買取なんていうのは大嘘で全部10円くらいで買い取られます。でも敗北者なのだから受け入れるべきです。クーポンで買い取り価格30パーセントアップとなったところで、13円で買い取られるだけ。でもこれがひとつの解決方であります。

②積ん読状態の本を友達に貸す。
 貸すとは言ってはいるものの、本(特にマンガ)とCDは貸したらたぶん返ってこない。仲のいい友達も、本を貸せばみんな泥棒、ふーじこちゃーんでおなじみの借りパク3世になります。
 古代ギリシヤの哲学者ディオギネスは、お金に困ると、友人たちにお金を貸してくれとは言わず、返すべきものを返してくれ、と言ったそうです。
 どいつもこいつも一皮むけば、みんなディオギネスです。友達には本を貸すのではなく、返したと考えるのが正しいでしょう。

 ③パラパラ読み。
 これが今私の中でブームです。速読ではない、適当に読み飛ばすのです。ペラペラ、パラパラと流しめくりして、なんか引っかかった単語があればちょこっと読む。
 こんなの読書ではないし、本を読んだとは言えないが、積まれて死んだも同然の手つかずの本を手放す気にもなれないという人は、これしかない。

 意味がないようで、ちゃんと意味はある。AIには無理だが、人間にはこんなふざけた方法で読書する力があるのです。天然読書。こんなやり方でも、なにかを感じ取ることができる。人間はすごい。本棚に積んである本をぜひパラパラしてみてほしい。意外と得るものがあるぞ。

コメント

  1. 自分もよくパラパラ読みをしますが、パラパラ読みは飽きることもなく、時間を短縮出来るので、すごく効率がいい読み方だと思います。本が無駄になることもありません。

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