太宰治と同い年、松本清張先生の代表作と言えば『砂の器』ですよね(あと『点と線』)。みんな名前くらいは聞いたことあるでしょう。映画にもなっているくらいだから、おもしろいはず、名作にちがいないと、ずっと思っておりました。
いつか読もうと思いつつ、今まで読まずにいた一冊、その『砂の器』をついに読みました。以下、ネタバレの感想です。これから読もうと思っている人は読まないでくださいね。
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ハンセン病に対する差別問題に切り込んだ社会派ミステリー、と信じて読み始めたのですが、そんなんじゃない。『砂の器』はトンデモ推理小説です。とくに最後のトリックがひどい。犯人が殺人に使った凶器はなんと、超音波音楽なのです。
人間の耳には聞こえない超音波の領域というのがあって、犯人である前衛音楽家は、自宅のスタジオで、殺そうとする相手に自ら作曲した超音波音楽を聞かせるのです。すると音楽を聴いた相手は精神と肉体をぼろぼろにされ、スタジオを出てしばらくすると、倒れて死んでしまうという、「超音波音楽」を悪用した完全犯罪であることが、物語のラスト(下巻の最後で)刑事によって明かにされます。
これはSF小説なのか、いや、こんなリアリティのない設定のSF小説なんてありません。読者がついてこないからです。ちなみに映画版『砂の器』では、超音波音楽は登場しません。小説のみに出てくる凶器であります。
*(以下、妄想)
松本清張先生は読者を引きつける仕掛けとして、次々と起こるのは殺人事件ではなく、関係者の〝事故死や病死〟という設定にしました。連続病死事件なのです。不思議だ、どうなっているんだ、というふうに風呂敷を広げて、盛り上げていったのです。ただその風呂敷を畳むトリックが思いつきません。そしてそのまま、雑誌の、最終回の、締切りをむかえてしまいました。清張先生は無念の思いで決断します、「超音波で皆殺しにしよう」と。
原稿を編集者に渡したあと、呆然と部屋でひとりウイスキーを飲みながら、清張先生は、はたしてあのラストでよかったのだろうかと自問自答をします…。やがて「さすがにあれはないな」と自らの過ちに気づいて、深く落ち込みました。今からでもいい、できるならば、この小説はなかったことにしたい(それこそ超音波で)と願いましたが、そうはならなかった。むしろ逆。原作のトンデモ部分をカットした映画版の大ヒットのおかげで、小説は脚光を浴び、売れに売れ、気づけば自身の代表作のひとつになってしまったのです。
いかがなものでしょうか。個人的には、清張先生の名誉を守るためにも、ひっそりと永久欠番にしてあげたい、そんな小説であります。
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