ダムは君主である ~命を守る行動とダムがんばれ~

 10月12日土曜日。大型の台風19号があまりにも天気予報の通りに関東地方に近づいてくるので、なんだか意味もなく高揚してしまい、ずっとテレビで台風のニュースを見ていました。

 台風が近づくにつれて、雨はつよくなり、河川の水位はじりじりあがる、場所によっては氾濫寸前になる。そんなタイミングで(12日の夕方頃)、満水ちかくなったダムが、緊急放流をすることになりました。

 緊急放流とは、ダムに流入する量と同じ量の水を川に放出することです。でも川だって満水です。放流するとどうなるか。それがとどめになって、河川が氾濫し、洪水になるのです。

 和歌山県でもこのパターンで(たぶん過去2回くらい)洪水になっている。水をせき止めるはずのダムが放水すれば、川は氾濫し、水は溢れ出すのは当然のこと。家や車は水につかり、だめになる、つまりゴミになる。台風の大雨の中の放流は、ダムの自殺のようなものです。

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 ダムの放流の通知とともに、NHKのテレビアナウンサーが視聴者に「命を守る行動を」と、何度も呼びかけるのでした。

 でも命をおびやかすダムの放流に対して、各自で命を守れというのは無理な注文です。NHKはメディアとして腐っていると憤慨し、テレビを見るのをやめて、インターネットでツイッターを見ることにしました、真の国民の声を聞こう、と思ったのです。すると、

 「ダムがんばれ」という謎のつぶやきが、ツイッター上に流れてくるではないですか、ひとりやふたりではありません、結構な数のダム応援団が、インターネットで盛んにつぶやいておるのです。

 そして警告ではなく、ダムが大雨の中で放流を始めたとニュースが報じられると、今度は「がんばってくれてありがとう」といった、ダムへのねぎらいの言葉が、ぞくぞくとツイッターのライン上に放流されてくるのでした。

 インターネットのほうが、NHKよりも腐っている。ダムががんばるはずもないし、がんばれと応援してどうなるものでもありません。ダムの役割のひとつは、洪水をおこさないための、治水なのです。

 ダムはただで運営しているわけではなく、つくるにあたって、村人を移住させ、村をダムの底に沈め、何百億という建設費をかけてつくる。完成したあとには、自然環境を破壊するし、魚はいなくなるし、放流のたびに泥水をながすので、川を汚くなる。維持費もかかる。

 それと引き換えに、洪水を防いでくれると信じているから、こんなダムの不利益に我慢していたのです。満水でダムが決壊しちゃうから放流しますというのならば、ダムなんてあってもなくても同じ、ではなく、「ないほうがいい」ということになる。一生懸命我慢したけどもらしちゃいました、想定外でした、なんていうのは、いいわけにならない。

 天気予報の予想通りコースとスピードでやってきた台風の大雨で洪水になる。なぜ準備をしないのか。不思議に思うのですが、これに対しては、実は答えがあったというのを、ツイッターのダムマニアのつぶやきをウォッチすることによって、知ることができました。

 ダムとは常に雨の前には準備をしているもの(あらかじめ水位を下げている)である。ダムの放流を批判するやつはバカである。それが、インターネットに住む、ダム弁慶たちの意見であり、メディア批判(ダムに対する正しい報道がなされていないというもの)でありました。

 さらにダムというのは市民のものではなく、企業の所有物で、金をかせぐ装置(利水)でもあるのです。所有者にたいして国民ができることは、洪水をおこさないように、あらかじめ放流してダムの水位をさげてくれと「お願い」をするくらいしかできないのです。

 所有者の論理としては、ダムが大雨のなか放流するのは当然の権利であって、ある一定量以上に水がたまった場合、ダムを決壊させないために放流する。決壊して困るのはお前たちだぞ、(川の)下流の人間は避難しろ、水につかるであろう家や車のこととダムとは関係がない。なぜならば、ダムがなければもっとはやく洪水になっていたからだ。下流のひとたちに、感謝されることはあっても、恨まれる筋合いはない、なにも知らないくせにえらそうなことをいうな。

 というのがダムの所有者及び支持者の考えなのです。ダムの経営者や働いている人はもちろん、ダムの仕組みについて詳しい人はみないちように、このような考えをもっているようです。

 台風の最中に放流するのも、そのせいで人が亡くなったり、家や車が浸水によってゴミになってしまうことにも、一切責任も感じず、平然としていられるのも、こういう考えで動いているからです。ダムの運営マニュアルを正しいと信じきっているのです。

 「ダム関係者のみなさんお疲れさまでした」「放流まで時間を稼いだだけでもすごい」「逃げる時間を確保できた」などのダムウヨともいうべき人たちの、ツイッターのつぶやきというか、喝采の裏には、このようなダム信仰があったのです。

 君主論である。大きな被害を防ぐために、小さな被害はしかたがないというのは、君主とそれに仕える臣下の意見である、民衆の意見ではない。アイツラが、ダムの家臣たちが、命を守る行動をとか、ダムがんばれと言うのも、ダムが君主で、それに使える犬だと考えれば筋は通る。ダム家を守る忠臣と言ってもいい。で、これを見てくれ(クリックすると大きくなるよ)。

 

2019年10月14日(月)神奈川新聞

 翌々日(2019年10月14日)の神奈川新聞の記事です。ダムは事前に水位調節をしていませんでした(水位を下げていなかった)。台風による大雨の被害よりも、もし大雨がふらずに工業用水が不足することのほうを心配していたのです。ようは利益優先ですな。

 ダムが事前に大雨にそなえて、放流して水位を低く調節していれば、洪水はおこらなかった。水害もなかった、自衛隊も苦労する必要はなかった。台風の洪水は、自然災害ではなく人災なのです。しかも、このパターンの人災が何度もおきている。地方では当たり前のように起こっている。今回は関東でおきたから緊急放流が話題になったけれど、地方なら大雨の中、当たり前にダムが放流して、洪水がおきている。家も畑も田んぼもだめにしている。それでいて誰も責任をとらない。

 ダムについて物申したいことがまだまだあるが、治水、利水、発電と、そんないくつものの目的を、時には相反する目的をもっていては、まともな運用なんてできないだろう。お金をかけて、自然を破壊して、それでダムがないのと同じ被害というのです、いかがなものでしょうか。それはいかんの〝い〟を表明します。

 


この記事へのコメント

  1. 引きこもりなのですが食事制限や運動していますか? 私は太ってしまいました。差し支えなければよろしくお願いいします。

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