ひきこもり川崎事件と次官事件について思うこと

 今更ですが、↑2019年5月28日に起きた事件についてのよもやま話です。私はこれを、ひきこもり問題というよりは、事件と差別を結びつけておもしろがっている、そういう連中がワイドショーを中心にいるということ、ミヤネ屋や坂上忍はいかがなものでしょうか、ということだと思う。

 犯人がひきこもりでなく会社員だったら、会社員と事件を結びつけて盛り上げるなんてことはしないでしょ。でも犯人が外国人だったなら、もしアメリカ・ヨーロッパの白人ではなく、アジア・南米人が犯人だったら、中国人や韓国人だったら、精神障害者、知的障害者、イスラム教、ホームレスだったならばどうだろう、ほぼ間違いなくやつらは、ミヤネ屋と坂上忍は、面白おかしく番組にして、みるからにヤバそうな犯罪心理学者にあれこれしゃべらせて、ひきこもり以上に差別を煽ったはずです。

 差別や偏見はなくなってきているのではなく、面と向かって思っていることを言わなくなっただけなのです。自分はひきこもりではない、外国人ではない、障害者ではない、ホームレスではない、というそのことだけにしか優越感を持てない奴らがいて、こういう事件が起きると、むくむく湧き出てきて事件と差別を結びつけて喜ぶのです。

 容疑者が「ひきこもり傾向」があったと川崎市が記者会見していましたが、あれの意味するところが私にはよく分からない。警察が発表するなら分かるが、相談先の川崎市がぺらぺらと記者相手に相談内容を話すのであれば、今後一切、誰も行政に相談なんてしないだろう。捜査に協力するのはかまわないが、テレビや新聞に協力する必要はない、プライバシーは守られるべきである。ひきこもりと犯罪を結びつけようとする世間の空気を先読みして、川崎市は責任逃れのためにこの会見をしたのかもしれないが、家族・親族にとっては地獄行きの記者会見ですよ。親族のひきこもりへの対応のまずさというほうに事件の原因を持っていこうとする、行政の悪意を感じたが、これは私の妄想だろうか、妄想かな?

 

 ひきこもり絡みでもう1件、練馬で次官事件がありました。しかしこれは種類が違う事件だと思います。殺人予防という妄想に基づいて行われたもので、この元官僚の親父の精神構造は、やまゆり園でおきた事件の犯人の植松容疑者のそれに近いです。殺すことが社会の役に立つ、殺しても情状酌量で2年くらいで刑務所から出れると確信してやったと思います。

 

 余談、オピニオンリーダーひきこもり名人

 事件が起きたあと、テレビでひきこもりの特集番組をつくるので、「部屋の写真を送ってほしい」という依頼メールが届きました、ええっ写真? しかもなんで”私”のゴミ屋敷部屋の写真なんだと呆然としていると、続けざまにメールが届き、「ただいまテレビ番組が終了しましたので、もう写真入りません、ありがとうございました」という内容で気を失いかけました。これが今回の事件に関する、ひきこもり業界のオピニオンリーダーひきこもり名人への取材依頼のすべてです。北朝鮮級の制裁を受けているんじゃないか、と思うくらい相手にされておらんのですよ、えっへん。

 


この記事へのコメント

  1. 事務次官の事件は、川崎事件をひきこもりが原因だと煽ることによって血迷った結果で、ある意味では川崎事件及びそれをひきこもりと結びつけて報道したメディアの被害者のような気もします。
    ひきこもりに対する差別や偏見、不寛容は、当事者だけでなく事務次官を務めるくらい優秀な人間を狂わせるほどの暴力であることを認識すべきだと思います。

  2. 弱者が弱者をたたく構図は近年よくみかけます。
    次官事件のほうは名人の言う通り、情状酌量を狙っていると思います。
    ちょうど川崎事件が起こった。こりゃちょうどいい、未然防止の為の犯行ということにしてしまえ。
    どうせ相手は死んでしまっているし死人に口なし・・・と考え付いたのやもしれません。

  3. こんばんは。
    この手の事件って最初はさまざまに騒がれますが、当事者が何を問題にし、何に苦しんでいるのかについての問題に舵を取ることって殆どないですよね。
    どうも簡略化というか、わかりやすくして納得した気にさせているような・・・。
    そして何も変わらないまま半年くらい経つと忘れられていくという・・・。
    自分も相変わらず定職についていない身ですし、家族や友人や支援機関、「相談するだけなら」いろいろ選択肢はありますが、結局「いつまでそうしているのか?」と単に追い詰められるだけなのが実情だと思います。

  4. 勝山さん、初めまして。 
    いつもブログを、楽しく拝見させていただいております。
    つまるところ記事本文

    自分はひきこもりではない、外国人ではない、障害者ではない、ホームレスではない、というそのことだけにしか優越感を持てない奴らがいて、こういう事件が起きると、むくむく湧き出てきて事件と差別を結びつけて喜ぶのです。

    この部分が、「一人で死ね」に同調したり、「犯罪者予備軍」を殺害した元次官を称賛する人間たちの本質を、鋭くえぐっているなぁと感銘を受けました。
    多数派の普通の人たちが、「自分には家庭がある」「子どもがいる」などと自らの犯罪者になりにくい属性を指折り数えても、一定数は犯罪者になるわけで。
    普通の人は、社会の汚点を「引きこもり」「外国人」、「障碍者」、「ホームレス」のせいにしていれば満足なんでしょうな。
    元次官の「犯罪者になる前に殺した」という旨の発言は、そういった世間に迎合した言い訳に過ぎないと思います。

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