身内アート

よもやま話

「身内音楽」(by 数の子ミュージックメイトというものを最近知り、打ち震えるほど感動しました。これはいい、素晴らしいジャンルの発見ですな。私も手に入るなら、身内音楽のレコードやCDを買いたいと思うくらいです。さわりの部分をお聴きください(6:04:00あたりからが聴きどころ)。


 感動した。でも身内なのは音楽だけに限りません、絵画、演劇、文学、映画など、世の中は「身内アート」であふれています。舞台の上も身内なら、それを見ている観客も身内という、多様性ゼロのせまい社会です。

 その身内アートの最大の発生源が学校です。学校の学芸会やら文化祭で強要されるアレが、身内アートを生み出すのです。

 嫌な思い出しかない、クラスにひとりふたりいる目立ちたがり屋をはしゃがせるためだけに存在する学芸会、そこで強要される、演劇という名の茶番劇。私は幼稚園のときに、全身茶色いタイツといういでたちで、モグラ役で俳優デビューさせられました。そのことは、いまでも忘れない。その後小学校では身内俳優として、竜宮城で泳ぐ魚の役を演じました。あれがラストステージだったと記憶しています。

 恥ずかしい、やりたくない、そんな身内アート嫌いだった私も、この動画で身内音楽というジャンルを知るやいなや、そのDJプレイにあっという間に魅了されてしまいました。あの忌み嫌っていた、目立ちたがり屋の連中の歌いっぷりが、心を揺さぶるのです。なぜか。

 やつらがとびきり〝ゴキゲン〟だからです。技術も才能もオリジナリティもない、なのにプロの音楽家の何倍もゴキゲンなのです。このゴキゲンな人間が醸し出す、グルーヴとというかスウィングというか、あのノリが我々人類が忘れかけていた、原始叫びを思い起こさせてくれるのです。私の中にある、限りなくゴリラに近かった祖先の魂を、揺り動かすのです。

 芸術家(アーティスト)と呼ばれる人もみんな、いうなれば身内アーティストです。作品を発表すると、最前列にはいつも親族、友達といった身内がずらっと並ぶのです。最初は全員そうですし、実はどんなに芸術家として成功してもこれは変わらない。ただ身内以外のたくさんの人々のなかにまぎれ、身内が目立たなくなるだけなのです。

 創作活動による表現、その先には、見知らぬ誰かなんていない。よく知っている身内がいる、いや身内しかいないんだと、私はいいたい。私は常にこのことを肝に銘じて日々アート活動に精進しておりますぞ。

 


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