オンラインは目が合わない

 オンライン飲み会は疲れる。2時間もやるとへとへとになる。そのうちに慣れるかなーって思っていたけれど、なかなか、あの居酒屋でやっていたときの開放感がでません、なぜか。

 それは我々がゴリラだからじゃないのか(最近ずっとゴリラブーム)。ゴリラの挨拶は、相手の目を見ることです。どんなに近づいても、声をかけても、さわっても、そんなのは挨拶とは認めません。ゴリラはぐいっと顔を近づけて、人間でいうならガンを飛ばすくらいやって、それでようやく「よう!」くらいの挨拶になります。ゴリラは目を見ないやつをゆるさない、目を見ないやつを仲間として認めない。

 人間も99%はゴリラなのですから、ゴリラほど見つめはしないけど、やっぱり話すときに相手の目を見る必要があるんじゃないのか。

 目にはたくさんの情報がつまっている。話す相手の目をちらっとみれば、相手が何かを考えているのか、自分の話を聞いているのか、つまらなくて退屈しているのかくらい、なんとなく分かるでしょ。目は口ほどに物を言う。特に白目の多い人間(ホモサピエンス)は、ゴリラなどのほかの動物よりも、目の情報量が多い(目で語ることができる、白眼視できるのも人間ならではの技といえます)。

 オンライン飲み会は、パソコンやスマートフォンを使ってやっとるわけですが、お互いを見ているつもりでも、実はそれは錯覚で、お互い「画面」を見ているのです。画面とカメラは違う位置のあります、だから目をそらした人と(ほんのちょっとですが)話していることになります。自分の目を見てくれない人と話し続ける…、これは我々ゴリラの本能からすると、あってはならない不快なことなのです。

 ただし人間はゴリラほど頑固ではありませんから、理性の力で環境に合わせて、脳内で補正し、目が合っている時と同じように交流しようと、手ブレ補正ならぬ、目ブレ補正を脳内でしてしてオンライン飲み会をしているのです。だから疲れる、というのが私の「オンラインは目が合わないからゴリラとして疲れる理論」です。

 ここまで書いてきたことは、客観的事実はなんの関係もないマイ空想ですが、まあ、かなり当たっているんじゃないかと、私一人6畳間でそう思っています。

 いずれ、技術革新が起こり、モニター画面の中にカメラが埋め込まれ、自然と視線があうようになるアプリが出るでしょう、そうすれば疲れないオンライン環境ができる。まあそんなところで、今日は空想の翼をたたむことにしましょう。ほわっちゅまーい。

 

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