コツコツ努力をする習慣

 とうとうコツコツ努力をするという習慣が身につきませんでした。いや、まだ48歳、残り30年はある、いまからでもコツコツやる人間になろう、今日から生まれ変わるぞと、心のなかで嘘をついて(自分に対して)、熱風を噴き上げるのですが、やはりそれだけで今日も今日とて何かするということはないのです。

 コツコツやらないのなら、どうやっているのかというと、ときたまやってくるマッチ棒の火のような「やる気」が湧くときにちょこちょこってやっています。気が向くとはこういうこと、さっと手をつけて、ぐいぐいと進めるのですが、始めた瞬間が最大風速といったあんばいでして、その後は一気にだだ下がり、やる気マッチの炎はみるみるうちに小さくなっていきます、たいていのことは途中で終わるのです。

 この習慣というか、習性のルーツは(何度も語っていることですが)小中学校時代にあります。やればできる子だった、あのわずかな期間が土台にあります。やらなくてもできる子だったので(ただし学校のテスト勉強に限る)、クラスにいるやってもできない子をどす黒い優越感で見下すという、悪事に染まってしまいました。

 でもみなさんご存知の通り、私は正真正銘のやってもできない子、やってもできないおじさんです。できるようになるにはコツコツ努力するしかないのですが、わずかな過去の栄光が仇となり、やらない才能、なにもしない能力が不治の病となり果て、今もそのままなのです。

 改心するチャンスはありました。高校入学とともに私の成績はビリギャルやらぬ、ビリ太郎になるほどに急落したのです。このときに己を知り、悪い習慣を改めるべきだったのですが、私は勉強ができないのではない、やらないだけだ! と嘘の自己肯定感で理論武装したうえ、俺がひとたびやる気になれば、民衆を後方から一気にごぼう抜きにできるんだぞという妄想をたくましくして、心にバリアを張っていました。

 努力はしない、空想だけする。空想をかかした日は1日もありません。努力には成果がつきますが、空想は純粋に「すること」なので、その成果というか、したことによって生産される物というのは存在しません。あるのは心の宇宙ばかり、6畳間に無限のブラックホールであります。空想こそがアートだと信じております。物も形もない評価ゼロの芸術なんだと思い、今日も腰をすえ空想しております。ぴえん。

 


この記事へのコメント

  1. こんばんは。
    好きな事とか、必要に迫られることでもない限り、中々継続できないですよね。
    そして何より残酷なのが、頑張ってコツコツ努力しても、興味があったり好きでやっている奴や苦痛に感じない奴にはどう足掻いても勝てないという・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です