文豪

ブログ運営

俺メディアのつくりかた〈3〉

常に最終回。途中で飽きる、続かないと悩む前に、なにごとも三日坊主で終わらせるように心がけるべきです。壮大な構想(妄想)を持って、続く、続くとやっていくから、続かなくなのです。俺メディアの編集長たるもの、なんでもかんでも3回で打ち切りにするべきです、そうすればなんであれ完結することができます。 継続は力なりと、無理してがんばっていたときには何一つ浮かばない脳みそも、だめだ、続けられないと決めたとたん活性化してあれこれいいアイディアが浮かぶもの。が、そんなものは無視して、どんどん打ち切るのがいい。 俺メディアのつくりかたと称して、WordPressのことや、誰にも頼まれてないのにかってにつくって、...
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俺メディアのつくりかた〈2〉

「メディアを恨むな、メディアになれ」とは、カレ・ラースンの言葉だと本に書いてあったので、よし、まずは原典にあたるぞと、カレ・ラースン著『さよなら、消費社会』を買って読んでみたのですが、どこにもそんなことは書いてありません。この名言はいつ、誰が言ったんだろうねえ。 メディアに取り上げられるのを待つのではない、俺がメディアになるのです、さすれば落選することはないし、ボツになることもない。全部合格、即発信です、これこそが俺メディアをつくる一番の理由です。アクセス数の多い少ない、アフェリエイトの広告収入だとか、そんなの俺メディアには関係のねえことです。 俺メディアとは、基本的にアクセス数ゼロ、評価ゼロ...
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俺メディアのつくりかた〈1〉

インターネットで発信すると、見知らぬ大勢がホームページにやってくる、そんな幻想をもってホームページを始めたのが、今から約21年前のことです。Word98を使ってホームページ作成し、加入プロバイダーの@niftyのサーバーにアップしました。 当時の私は文豪として、文芸誌の新人賞に小説を応募しておりましたが、そのすべてが一次選考ではねられていたのです。私は自分の書いているものの質を疑うことはせず、出版社の人はちゃんと読んでいない、最近の編集者は文学がわからないのだと、逆恨みし、憤懣やるかたない思いで悶々としておったのです。 そこにやってきたのが、Windows98搭載ノートパソコンとインターネット...
よもやま話

クソポエム

クソポエムⅠ野菜不足を野菜ジュースで補おうとしている時点で貧乏人ですこころがまずしい野菜不足は野菜を食べて解消する野菜を食べなはれ はよ  はよクソポエムⅡ夕方過ぎの半額シール油っこいおかずと冷えたご飯コカコーラは砂糖水貧困と 肥満の  直列配列
よもやま話

書評『三人姉妹』

「モスクワへ、モスクワへ」と三人姉妹がただ言い続ける作品(戯曲)。読んでない人はまさかそんなはずはないと思うかもしれないが、読んだことのある人なら、当たらずといえども遠からずと思っていただけるのではないか。 井伏鱒二や太宰治も大好きだったロシアの文豪チェーホフの四大戯曲のひとつです。アイドルも舞台で演じています。そういうきっかけがなければ、誰も読まない作品だと思う。三人姉妹より、『桜の園』のほうが有名だけど、あえて三人姉妹を取り上げます。 両作ともつまんないけど、桜の園がつまらないのには理由がある。主人公の貴族たちが没落していく一番の理由が、農奴制度(奴隷制度)の廃止だからです。主人公たちは、...
よもやま話

書評『回想の太宰治』

津島美知子『回想の太宰治』がおもしろい。内容を一言でいうなら、太宰おちょこ伝です。 その前に、読書人たるもの、作家の書いた小説を読むべきです。作家がどういう人だったとか、作品の舞台裏とか、そんなことは関係ないはず。が、作家が故人であると、もう新しいものを読むことはできないわけで、ファンとしてはこういう回想録に手をだしてしまうのもしかたがないこと、と言い訳をしておきます。 太宰の本妻が書いただけあって、しみじみと太宰の器の小ささを後世に伝える、いい逸話がたくさん書いてあります。そのなかで、私の心にいちばん響いたのが、太宰の〝ケチっぷり〟です。 太宰は小説のなかで、自分は吝嗇だ、ケチだということを...
よもやま話

書評『走れメロス』

太宰治が、走れメロスを書くきっかけになったのが、熱海事件といわれるものです。 どういうものかというと(細かいところは省略します)、旅行で借金をつくった太宰が、親友である檀一雄を借金の人質として旅館に残し、東京に金策にでかけました。だけど太宰は行ったっきりで戻ってこない。壇がしびれをきらして東京に行くと、太宰は井伏鱒二と将棋を指していたのです。あまりのことに壇が憤慨すると、太宰は「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」と言ったという。壇は、それ以上、太宰を責めなかった。 メロスは走ったけど、太宰治は友情と信頼のために、一歩も走らなかったのです。ただ、熱海の檀一雄をなかったことにして、放置し...
よもやま話

いまさら『砂の器』を読んでみた

太宰治と同い年、松本清張先生の代表作と言えば『砂の器』ですよね(あと『点と線』)。みんな名前くらいは聞いたことあるでしょう。映画にもなっているくらいだから、おもしろいはず、名作にちがいないと、ずっと思っておりました。 いつか読もうと思いつつ、今まで読まずにいた一冊、その『砂の器』をついに読みました。以下、ネタバレの感想です。これから読もうと思っている人は読まないでくださいね。↓↓↓↓↓↓ ハンセン病に対する差別問題に切り込んだ社会派ミステリー、と信じて読み始めたのですが、そんなんじゃない。『砂の器』はトンデモ推理小説です。とくに最後のトリックがひどい。犯人が殺人に使った凶器はなんと、超音波音楽...
ひきこもり

田中慎弥さん

田中慎弥さんこそ、ひきこもりの王者と呼ぶのにふさわしい。20年に及ぶ無職ライフを経て、芥川賞作家になったのです。ひきこもりが空想することはできても、実現できなかった、逆転ホームランをかっとばした、我々のプリンス。まだ会見を見てない人がいたなら、動画でご覧ください。 ばーん、どうよ。20年間、太陽の日差しをあびなかった者だけが手に入れられる、もやし色の肌。バニラ色。瞳孔ひらきっぱなしで、キョロキョロする姿は、ある意味、鏡にうつった自分の姿。周りの人から見れば自分も、こんな感じなのかなと心配する男子がたくさんいたと聞いております。これを見て笑ったり、態度が悪いと怒る人は、ひきこもり当事者とは言えな...
ひきこもり

ポエム発掘

中卒を いくら鍛えても 中卒磨いても 光らない 石*かつちゃん暗黒ノートより
ケータイ小説

ひきこもりブッダ十大弟子 便所男ラーフラ編

甘やかしてはいけない。ひきこもりブッダは自分のことは棚にあげ、弟子たちには厳しく接していました。ブッダの子、羅ご羅ことラーフラも例外ではありません。特別扱いにしては、教団の中に新しい階級ができてしまいます。平等第一のブッダは、「くれぐれも、特別扱いはしないように」とラーフラの後見人である舎利弗(インド名・サーリプッタ)に、そのことを念を押して頼みました。 「おいこら、ビシビシいくぞ」、鼻息荒く決意するも、知恵と慈悲深いことで知られる舎利弗です。ちっともビシビシなどせず、慈悲オンリーでラーフラに接していました。甘やかしていたのです。増長すること山の如し。ラーフラは、とんでもない嫌な野郎に成長して...
ひきこもり

Fonte「安心ひきこもりLIFE」最終回

Fonteの11/1号(2009年)で、連載のコラム「安心ひきこもりライフ」は終了になります。また甥っ子以外の誰からも相手にされない、日陰生活に戻りますぞ。本屋でも一般の図書館でも手に入らないのが残念なのですが、国立図書館か不登校の親御さんを見つけ出して、借りて読んでみてください。全12回こじんまりとした、ひきこもり初心者向けコラムです。 ちなみに前号で、勝山商事オリジナルTシャツ読者プレゼントのお知らせを載せましたが、応募者少数のため、抽選なしで全員当選です。ほろ苦いメモリーがまたひとつ加わりました。
よもやま話

追伸・瀬戸内寂聴のケータイ小説「あしたの虹」

瀬戸内寂聴のケータイ小説でのペンネーム、“ぱーぷる”について私は大きな勘違いをしていました。ぱーぷるという言葉の響きが、かわいいからという理由で選んだのだと思っていましたが、源氏物語の作者「紫式部」の紫の部分を英語にするという、ダジャレであると、職業訓練中にハッと気がついたのです。ダジャレGメンとしては悔しくてなりません。目の前で堂々と万引きしているのに気づかずに見逃してしまった気分です。寂聴先生は、今頃、ぺろりと舌を出し、エッヘッヘッと笑っているに違いありません。 主人公ユーリの恋人の名前も、光源氏のダジャレで「ヒカル」です。つまり寂聴自身が紫式部で、ケータイ小説が現代版・源氏物語というわけ...
よもやま話

瀬戸内寂聴のケータイ小説「あしたの虹」

生臭い尼さん、瀬戸内寂聴先生が匿名でケータイ小説を書いたというニュースは皆さんもご存知のこと思います。無視していたのですが、ネットサーフィン(死語)をしていたら偶然発見してしまいました。これも定めなのかもしれません。  ペンネームは「ぱーぷる」です。いかがなものでしょうか。私は一発でやられてしまいました。悔しいですが、数ある日本語から「ぱーぷる」を選び出すセンスに負けてしまいました。ちょっとだけ読んでみましょう。 『あしたの虹』、86歳の尼であり小説家、ぱーぷるが書いた、初のケータイ小説です。女子高校生のユーリが主人公。文章からは、セーラー服を着た瀬戸内寂聴先生しか想像できないのですが…。以下...
ひきこもり

ひきこもりとパソコン

パソコン導入前と導入後ではひきこもりの深さが違います。パソコンがない時は、完全ひきこもりでした。自分から自分へ空想メールを送り、部屋で寝転び天井を眺めながらの妄想インターネット。その成果を小説として原稿用紙に書き上げ、空想作家としてデビュー。妄想読者(自分)の絶賛をあびる。文学新人賞に応募し、初めて現実世界に触れ、一次審査で落選という当たり前の「つっこみ」を受ける。全然納得できないひきこもり文豪。そんなことを一年に数回繰り返して、文学を理解できる編集者がこの世にはいないことを嘆く悲劇のひきこもり作家生活です。 誰ともつながっていない。バーチャルと言われるインターネットすらつながっていない、ウイ...