生臭い尼さん、瀬戸内寂聴先生が匿名でケータイ小説を書いたというニュースは皆さんもご存知のこと思います。無視していたのですが、ネットサーフィン(死語)をしていたら偶然発見してしまいました。これも定めなのかもしれません。
ペンネームは「ぱーぷる」です。いかがなものでしょうか。私は一発でやられてしまいました。悔しいですが、数ある日本語から「ぱーぷる」を選び出すセンスに負けてしまいました。ちょっとだけ読んでみましょう。
『あしたの虹』[現在非公開中]、86歳の尼であり小説家、ぱーぷるが書いた、初のケータイ小説です。女子高校生のユーリが主人公。文章からは、セーラー服を着た瀬戸内寂聴先生しか想像できないのですが…。以下、明日の虹からの引用です。
>うちでは母をママンと呼ぶけれど、父は「おとうさん」と呼ぶ。
あなたはこんな設定について行けますか。ケータイ小説の等身大のリアリティなんて、この一行で木っ端微塵です。ユーリは、トオルという男とつき合うのですが、すぐに別れてしまいます。トオルはというと、
>おじさんの一座と沖縄へ渡ったとかいう噂だ
ケータイ小説に旅芸人。いかがなものか。ユーリは両親の離婚などの寂しさから、数々の男と関係を持ってしまう。自分をシカトするグループのミドリの、彼を寝とり、
>胸がすっとした
>ザマアみろ!
と気焔をはく。最近の女子高生ってこんな感じなの? 読みどころは、著者ぱーぷるのプロフィールの中にもあります。
>【好きな食べ物】
>お肉(特にウシ)
仏教の教えを根底からくつがえす、殺生礼讃です。尼なのに、好物は肉、特にウシ! って、思っていても言っちゃだめ。女子高生ユーリはこの後、「老舗のうなぎ屋」でアルバイトを始めますが、私はここでギブアップ。最期まで読む力がありません。もし全部読んだ人がいたら、あらすじと名セリフを教えてください。
【関連記事】
追伸・瀬戸内寂聴のケータイ小説「あしたの虹」
コメント
異議なし、大脳すでに溶解しています。
大好きなお肉の食べすぎによる、
狂牛病のなせる技でしょう。
瀬戸内寂聴は文芸春秋での
石原侵汰聾との対談が忘れられません。
泡沫めいた、ちゃちな時代が生んだ
二大病人であることに、異論を差し挟む方は
ごくわずかであると思います。
少なくともこのブログの読者諸氏においては。
たぶん、この女の大脳は既にかなり溶解して
いるはずです。
出家した尼としていかがなものでしょうか。
天狗印のビーフジャーキーを食べながらの執筆だったと聞いております。
80も過ぎたおばあちゃんが若者の気持ちになって的外れな小説を書く
素敵じゃないですか
老い先短いのですから暖かい目で見守りましょう
ぱーぷるは、他のケータイ小説を意識して物語を作っているのですね。
ひきこもり時間はゆったりの流れるので、3ヶ月前くらい前まではこないだで、正解です。
あしたへの虹、読むか読むまいか迷っています。
これは、二重にフィクションになっている。
つまり女子高生が書いた、女子高生を主人公にしたケータイ小説という
設定で書かれている。
それが、ことごとく破綻しているのがたまらんのです。
これを読んで以来、ブログがかけないんすよ。
勝山さんの名書評に大爆笑しました。ここまでぶっ飛んでるとオマージュを捧げるしかないですよね。この小説を読破することがすでにある種の修行とも言えるかもしれません。
それにしてもさすがは瀬戸内寂聴。ひきこもり文士が百人ぐらい束になってかかってもとてもかないませんね。
読んでないので適当なこと言えないですがあらすじだけ聞くと、この前テレビでしてた恋空なんかと同じですね。
恋人と死別するなんてのは有り触れたプロットですが、ケータイ小説だとセックス(レイプ)、妊娠、死別のキーワードは有り触れたどころか必ず出てくるのでもう童貞には全くついてけません。
もともと僕のようなのはターゲットの眼中にも入ってないのでいいんですけどね。
こないだ(ひきこもり時間間隔的には)勝山さんが書いてたケータイ小説の方が僕は好きです。おっさん向けケータイ小説の草分けとかになんないかな。
>その尼さんの手中にうまく入ってしまったということでしょう
瀬戸内寂聴の思う壺です。私もこんなブログのエントリーを
書いてしまうこと自体、負けているのです。
尼さんの小説から、現在の女子高生の実態を知ろうとする、
ひきこもり中年男子こそ、真の文学だと思います。100点。
ヒカルというのは、ユーリのアルバイト先の老舗うなぎ屋で出会う、男子です。
光源氏がモデル。ああ、ぱーぷる嬢にとらわれてきた。
まさか…、ユーリが妊娠とは。
重要キャラをひき殺すという盛り上がりで、お涙頂戴のストーリーなのでしょうか。
源氏物語では藤壺が死ぬんだよねえ。
ユーリはヒカルと結ばれて
子供を宿すんだけど
ぱーぷる嬢(あえてこう書かさせていただきます…)
は
ヒカルをトラックでひき殺させてしまうんだ!
でも源氏物語の藤壺の巻が下敷きなんだよね
再度の投稿、失礼します。
今日たまたま、朝、親がNHKの朝ドラを見ていたら、テレビから松田聖子の「赤いスイートピー」の歌が聞こえてきました。
古い恋愛の歌ですが、そのフレーズの中に、「なぜ、知りあった日から半年すぎてもあなたって、手も握らない」というのがありますが、
尼さんの小説によると、この部分が無いんですね。
やっぱり、今の女子高生ってこんな感じなんでしょうか。
本当にいい時期をスピードサーチして、いくなんて、信じられないこともないですが、快楽が得られやすい反面、本当の人間の喜びっていうか、何かもったいない感じがします。
世の中の流れの中で、こんな感じの時代になったのでしょうが、当人は可愛そうな気もします。
でも、仮にも小説でしかも影響力のある方の表現は、たとえ架空のことであったとしても、イイこと、多くの人がやっていることとして、捉えられてしまうことがあります。
といいつつ、こんな甘い時代を過ごすことが出来ないでいる僕が、こんな意見を言っていいのでしょうか・・・。
すごいタイトルと、小説ですね。
いやぁ、今では結構このような話の女性って多いんでしょうか。
僕は1970年代生まれなので、その辺は理解ができにくいというか、拒否反応に近い症状が出てしまいます。
両親が離婚、寂しさのあまり多くの男性と関係を持ってしまう・・・という感じはやっぱり今の時代多いのだろうと思うのですが、多くの人と関係というのがもし、実在する方でもいらっしゃるのであれば、愛をはじめとする様々な人間の真実の部分(どちらかといえば、あまりよろしくない部分)を直視してしまうことが多くなってしまうのではないかとも思います。
様々な友人や、その他もろもろの人間関係の中では、その対象となる人物の真の姿と自らの空想から見た姿の比率で表現するならば、圧倒的に空想の姿の方がウエイトは高いような気がします。
そこには、近づきすぎず離れすぎずの人間関係を保たなければならないと思うのですが、上記の人物と同じような感じの体験をされている方は、どちらかというと、真の姿を多く見てしまうのでは・・・と感じます。
だいぶ、ずれてしまいましたが、86歳の尼さんが書かれた小説とは・・・
とちょっと拒否反応が出てしまいます。
といっても、ここまで色々と書いてしまったという事は、その尼さんの手中にうまく入ってしまったということでしょう。
知らない間にペースにはまってしまうとは・・・非常に恐い事です。