川中島

よもやま話

デモクラティック大名(10)

信玄は九死に一生を得ましたが、兄思いの弟信繁や軍師山本勘助などよき理解者を戦で失ってしまいました。これからは上杉謙信のように、大事なことは話し合わず俺ひとりで決めたほうがいいんじゃないか、信玄はそう思いつつも、すぐにデモクラティック大名の看板を下げることせずに、合議制を続けます。  一方家臣はというと、川中島の合戦でキツツキ戦法なんてものを主張したせいで大失敗していますから、軍議では信玄の意見に従うようになりました。形式的には合議制なのですが、実際は今まで以上に信玄の鶴の一声で全軍が動く仕組みへとなっていったのです。形骸化したデモクラティック大名ではありましたが、戦は連戦連勝、三方ヶ原の合戦で...
よもやま話

デモクラティック大名(9)

謙信は勝利寸前でしたが、こうなっては勝ち目はありません。あとはどうやって退却するかということになります。上杉謙信は敵中突破をはかりました。新手の先鋒隊と戦うことをせず、朝から戦い続けで疲れている正面の敵に突撃し、そのまま突き抜けて越後に戻ろうとしたのです。  その時、歴史が動いた。通り過ぎようとしたその敵の本陣に、当時最高級品であったヤクの毛でフサフサの兜をかぶった男がじっと座っていたからです。ひょっとしたらアイツじゃねえと勘づくと謙信は向きを変え、アル中特有の勢いでフサフサ兜のの男に馬上から刀で切りかかったのです。有名な信玄と謙信の一騎打ちです。  床几に座り、動かざる信玄は風林火山のうちわ...
よもやま話

デモクラティック大名(8)

もし川中島で、織田信長がこのような状況に陥ったのならば、家臣の秀吉や明智光秀に殿(しんがり)をまかせてとっとと逃げていたでしょう。でも信玄は今まで軍議という名のおしゃべり会で、大将の心得として「本陣が動くのは負けた時だけだぞ」「動かざること山の如しだ、ガッハッハッ」と兄貴面をして家臣相手にふかしまくっていましたから、逃げたくても逃げれなかったのです。  でも信玄が逃げないから、武田の家臣はもちろん、足軽のひとりとして逃げ出しませんでした。武田軍は崩壊寸前のところで持ちこたえていたのです。そしてついに武田の先鋒隊が戦場に到着したのですしたのです。こうなると形勢は逆転、上杉軍は挟み撃ちにされる形に...
よもやま話

デモクラティック大名(7)

謙信の車懸りの陣に対して、武田信玄は鶴が翼を広げるように陣を広げ、相手を包み込もうとしました。鶴翼の陣です。でも武田軍は上杉軍に対して人数が少ないのです。武田勢の半分は上杉本陣があった山上にいたからです。そこがもぬけの空と気づき、反転して、先鋒隊は武田本陣めざして引き返しているところですが、山中には上杉軍の伏兵がおり、簡単に戻ってくることはできません。  こうなると謙信が信玄の首をとるか、その前に武田の先鋒隊が本陣に戻ってくるか、どちらが先かという勝負になります。謙信が攻めて、武田軍が守るのです、でも武田軍にだって勇猛果敢な武将はいます、本陣から打って出て謙信の首を狙い突撃する武将たちもたくさ...
よもやま話

デモクラティック大名(6)

旗本というとお殿様のそばにお仕えする侍のイメージがありますが、それは江戸時代のもので、戦国時代の旗本とは、各部隊から選抜された最強部隊のことです。全員が宮本武蔵だと思ってもらいたい。それが本陣にいて大将を守っているのです。川中島の合戦でいきなり本陣と本陣、旗本旗本がぶつかり合うことになったのは、アル中大名の謙信が寄った勢いで、みずから先陣を切って信玄のいる本陣に襲いかかったからです。  上杉勢は車掛かりという戦法をつかったと言われます。蚊取り線香のように渦巻状になり、ぐるぐるまわりながら攻めたという。そんなサーカスみたいなことを本当にやったとは思えないのですか、とにかく上杉軍はぐるぐるまわりな...
よもやま話

デモクラティック大名(5)

謙信は思いました。武田軍はなにかをたくらんでいるぞ、ならばその相手の作戦の裏をかいてこっちから攻めてやろうと思い、上杉軍は真夜中に全員下山します。どこに? 武田軍本陣の眼の前にです。  川中島の名物は霧です。朝になると数メートル先も見えないほどの霧が発生します。武田軍もこの霧を利用して夜中に出陣して、朝方霧が晴れるころに山上の上杉本陣に攻めかかる予定でした。いざ朝になり、武田先鋒隊が上杉本陣に攻めかかります、が、そこはもぬけの殻、兵士のかわりに藁人形が置いてあるだけでした。武田先鋒隊は作戦が見抜かれていたと気づきます。  そのころ川中島の平地も霧が晴れてきます。武田信玄の目の前に、山上で先鋒隊...
よもやま話

デモクラティック大名(4)

何がキツツキ戦法だ、遊びじゃないんだぞ、武田家が存続するか滅びるかの大事な一戦なんだ、お前らなんかの意見なんか聞いてられるか、大事なことは「俺がひとりで決める」、信玄はそう言いたかったのですが、いえませんでした。常日頃、大事なことはみんなで話し合って決めると兄貴面をして合議制を主張していた張本人だったからです。信玄が武田家の頭領なのも話し合いの結果? ということになっていました。  信玄ほどの軍略家からすれば、家臣が一押しするキツツキ戦法なんていうのは子ども騙しで、そんなのは通用しないと分かっていたはずです。孫子の兵法にも、こんな戦法は載っていない。しかし大事なことはみんなで話しあって決める、...
よもやま話

デモクラティック大名(3)

みなさんご存知の川中島の戦い(知らない人はこのあと書いてあることすべて理解できません)。武田信玄と上杉謙信は川中島で5回も戦っていますが、いわゆる世間で知られる川中島の合戦とは第四次川中島の合戦のこてで、それ以外はというと両軍にらみあいながら対峙していただけなのです。  謙信は酒を飲みながらじっと一人で考え込み、信玄は家臣らとおしゃべり軍議をして、川中島でいまでいうキャンプを楽しんでいたのです。彼らが現代人であったのなら、そこでバーベキューをするなり、もしくは麻雀卓かトランプでも用意して遊んでいればそれですんだかもしれない、ただ戦国時代ですから、戦をすることになります。  第四次川中島の戦いの...
よもやま話

デモクラティック大名(2)

武田信玄がなぜデモクラティック大名のふりにこだわったのかは分かりません、そのほうが家臣団を統率しやすいという計算があったのかもしれない、ただそのインチキ民主主義をこころよく思わない武将がいたのです。越後の虎、上杉謙信でございます。大事なことも、大事でないことも、誰とも話し合わず全部一人で決めて、勝ちまくる、もうひとりの戦国最強の大名です、毘沙門天を崇拝しているうちに、自分自身が毘沙門天だと思い込むようになってしまった狂人ではありましたが、戦となれば必ず勝つという戦争の天才でした。  信玄が軍議というなのおしゃべり会を家臣としている一方、謙信は何をしていたかというと、一人で酒を飲んでいたのです。...
よもやま話

デモクラティック大名(1)

残りの人生を狂人として生きていこうと決心しました。今までも狂人ではあったと思うのですが、少しでもまともな人間であろうと自分を抑えている部分がありました。それをやめる。妄想、妄言を他人の目を気にすることなく、自由に語りたい、もう狂人でいいんだ、思いつくままに書いていこう話していこうと決めたのです。なぜそんなふうに思うようになったかは、またいずれの機会に語ることにして、今回からしばらくずっと妄言を語ります。それでは、 デモクラティック大名 武田信玄  戦国時代は殿様をトップとした封建社会です。殿様の一言ですべては決まるのです。決まるのだけれども、それを良しとしない家臣がいれば、それを良しとしてない...