デモクラティック大名(10)
信玄は九死に一生を得ましたが、兄思いの弟信繁や軍師山本勘助などよき理解者を戦で失ってしまいました。これからは上杉謙信のように、大事なことは話し合わず俺ひとりで決めたほうがいいんじゃないか、信玄はそう思いつつも、すぐにデモクラティック大名の看板を下げることせずに、合議制を続けます。 一方家臣はというと、川中島の合戦でキツツキ戦法なんてものを主張したせいで大失敗していますから、軍議では信玄の意見に従うようになりました。形式的には合議制なのですが、実際は今まで以上に信玄の鶴の一声で全軍が動く仕組みへとなっていったのです。形骸化したデモクラティック大名ではありましたが、戦は連戦連勝、三方ヶ原の合戦で...