デモクラティック大名(1)

 残りの人生を狂人として生きていこうと決心しました。今までも狂人ではあったと思うのですが、少しでもまともな人間であろうと自分を抑えている部分がありました。それをやめる。妄想、妄言を他人の目を気にすることなく、自由に語りたい、もう狂人でいいんだ、思いつくままに書いていこう話していこうと決めたのです。なぜそんなふうに思うようになったかは、またいずれの機会に語ることにして、今回からしばらくずっと妄言を語ります。それでは、

デモクラティック大名 武田信玄

 戦国時代は殿様をトップとした封建社会です。殿様の一言ですべては決まるのです。決まるのだけれども、それを良しとしない家臣がいれば、それを良しとしてない農民がいれば、謀反がおき一揆がおきて国は大混乱となる。

 皆さんご存知の戦国時代最強の武将、武田信玄(知らない人はこのあと書いてあることを何一つ理解できません)。風林火山の旗を見れば分かるように、孫子の兵法大好きの無類の軍略マニアであります。君主としての人望も厚いうえに、内政が得意であり、特に洪水対策を得意とする土建屋的な面も持っていました。

 民に慕われる頭領として、武田信玄は甲斐の国に君臨していたのです。そんな名君、信玄が頑なにこだわっていたのが実は「合議制」なのです。軍神と呼ばれていた武田信玄は意外なことに自分一人で物事を決めるということをせず、大事なことはみんなで話し合って決めるという、きなくさいフリースクールみたいなことをやっておったのです。

 いざ合戦となると、武田家は信玄をはじめ御親類衆、家臣一同が集まって、話し合いの軍議を始めるのです。いまでいう取締役会議をしていたのです。

 しかしです、信玄が白と言えば黒いカラスも白くなるほどの、ワンマン社長ならぬ、ワンマン大名です、軍議とは名ばかりで、家臣一同が集まって今度の戦についてああでもない、こうでもないと、合戦ネタで盛り上がるだけのおしゃべり会でしかありませんでした。

 家臣が何を言ったところで、結局は信玄の鶴の一声で決まるのです、それでいつも勝ってきたし、家臣も信玄のいうことが正しいと信じていたから特に問題はおこりませんでした。信玄は好んで、茶番ともいうべき軍議をおこない、話し合い形式で作戦を決めると、家宝である楯無(矢を通さない無敵の伝説の鎧)と御旗(日章旗、つまり日の丸)の前で誓いを立てて合戦を始めるのでした。〈続く〉

 

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