武田信玄がなぜデモクラティック大名のふりにこだわったのかは分かりません、そのほうが家臣団を統率しやすいという計算があったのかもしれない、ただそのインチキ民主主義をこころよく思わない武将がいたのです。越後の虎、上杉謙信でございます。大事なことも、大事でないことも、誰とも話し合わず全部一人で決めて、勝ちまくる、もうひとりの戦国最強の大名です、毘沙門天を崇拝しているうちに、自分自身が毘沙門天だと思い込むようになってしまった狂人ではありましたが、戦となれば必ず勝つという戦争の天才でした。
信玄が軍議というなのおしゃべり会を家臣としている一方、謙信は何をしていたかというと、一人で酒を飲んでいたのです。謙信が治める越後の国(今の新潟県は)冬になると数メートルの雪がつもる豪雪地帯です、おしゃべりを一切しない無口な謙信がすることといったら、酒を呑むことくらいしかありません。上杉謙信は医者に止められても酒を飲み続けるようなアル中だったのです。酒を飲みながら、ひたすら戦争について考える、雪が解けたら、どこに攻めようか、どうやって攻めようかとずっと春日城にこもり一人軍議をしていたのです。〈続く〉
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