戦国時代

よもやま話

デモクラティック大名(10)

 信玄は九死に一生を得ましたが、兄思いの弟信繁や軍師山本勘助などよき理解者を戦で失ってしまいました。これからは上杉謙信のように、大事なことは話し合わず俺ひとりで決めたほうがいいんじゃないか、信玄はそう思いつつも、すぐにデモクラティック大...
よもやま話

デモクラティック大名(6)

 旗本というとお殿様のそばにお仕えする侍のイメージがありますが、それは江戸時代のもので、戦国時代の旗本とは、各部隊から選抜された最強部隊のことです。全員が宮本武蔵だと思ってもらいたい。それが本陣にいて大将を守っているのです。川中島の合戦...
よもやま話

デモクラティック大名(5)

 謙信は思いました。武田軍はなにかをたくらんでいるぞ、ならばその相手の作戦の裏をかいてこっちから攻めてやろうと思い、上杉軍は真夜中に全員下山します。どこに? 武田軍本陣の眼の前にです。  川中島の名物は霧です。朝になると数メートル先も...
よもやま話

デモクラティック大名(4)

 何がキツツキ戦法だ、遊びじゃないんだぞ、武田家が存続するか滅びるかの大事な一戦なんだ、お前らなんかの意見なんか聞いてられるか、大事なことは「俺がひとりで決める」、信玄はそう言いたかったのですが、いえませんでした。常日頃、大事なことはみ...
よもやま話

デモクラティック大名(3)

 みなさんご存知の川中島の戦い(知らない人はこのあと書いてあることすべて理解できません)。武田信玄と上杉謙信は川中島で5回も戦っていますが、いわゆる世間で知られる川中島の合戦とは第四次川中島の合戦のこてで、それ以外はというと両軍にらみあ...
よもやま話

デモクラティック大名(2)

 武田信玄がなぜデモクラティック大名のふりにこだわったのかは分かりません、そのほうが家臣団を統率しやすいという計算があったのかもしれない、ただそのインチキ民主主義をこころよく思わない武将がいたのです。越後の虎、上杉謙信でございます。大事...
よもやま話

デモクラティック大名(1)

 残りの人生を狂人として生きていこうと決心しました。今までも狂人ではあったと思うのですが、少しでもまともな人間であろうと自分を抑えている部分がありました。それをやめる。妄想、妄言を他人の目を気にすることなく、自由に語りたい、もう狂人でい...
ひきこもり

内閣府主催公開講座「ひきこもりを考える」について(6)

 小早川秀秋、通称「金吾」です。金吾という言葉の響きが大変よろしいので、以後ひきこもり金吾と呼ぶことにしましょう。松尾山に陣取った金吾の軍勢1万5千、これすべて元ひきこもりだと思ってもらいたい。今はひきこもり状態ではないとか、準ひきこも...
ひきこもり

内閣府主催公開講座「ひきこもりを考える」について(5)

 天下泰平の世にするためにも、ひきこもり三成こと川上憲人こそ打倒しなければなりません。いざ関ヶ原へ、とその前にひきこもりシンポジウムに参加した、他の2大名について紹介しておきましょう。  齊藤万比古(国立国際医療センター国府台病院第二病棟...
ひきこもり

内閣府主催公開講座「ひきこもりを考える」について(4)

 どういう形にせよ国がひきこもり支援に関心を持ってくれるのは嬉しいことだ、などと安心していていいのでしょうか。ひきこもり三成こと、川上憲人を見くびってはいけません。世界精神保健日本調査というめちゃくちゃを、研究費と時間と人を注ぎ込んでお...
ひきこもり

内閣府主催公開講座「ひきこもりを考える」について(3)

 さあ、ケータイ小説ひきこもり関ヶ原の続きを始めましょう。国家的ひきこもりイベント内閣府主催公開講座「ひきこもりを考える」、ひとつどうにも腑に落ちない部分があります。開催場所ですよ。なぜ東大の安田講堂でおこなわれたのか。全共闘か、と誰も...
ひきこもり

内閣府主催公開講座「ひきこもりを考える」について(2)

 悪口を言おうと思う。内閣府主催のひきこもりイベント、公開講座「ひきこもりを考える」について、批評でも感想でもない、悪口を言うぞ。  ひきこもり関ヶ原の合戦がいよいよ始まりました。働くまで待とう我らがひきこもり家康と、働かせてみよう自...
ひきこもり

内閣府主催公開講座「ひきこもりを考える」について(1)

 けなしてみようと思う。平成22年2月13日(土)に東京大学、安田講堂でおこなわれた内閣府主催のひきこもりイベント、公開講座「ひきこもりを考える」です。国が主催するという、その一点でのみ注目されました。私は行こうか行くまいか迷った末、当...