「おじさん! お散歩って、どこにも行かないことなんでしょ」と甥っ子が鼻息荒くせまってくるのです。
甥っ子と遊び続けると過労で死んでしまうので、いつも散歩にいく時間だからと言って、遊びを切り上げて、脱出するのが恒例の逃避パターンなのです。おじさんはお仕事にはいかないが、散歩には行くということは、理解して受け入れててくれていたのです。
甥っ子が仰天しているのは、その「お散歩」とは、どこにもいかないという意味だというのを学校で習ってきたからです。「お散歩ってどこにもいかないことなんでしょ」という質問に「そうだよ」と答えると、「じゃあ、どこにいってたの」「どこにも行かないのに、どうして出かけるんだ」と大変な怒りようなのです。
そんなバカなことがあってはならない、ひょっとしたらおじさんはどこかで同じところをぐるぐる回っているんじゃないか、というわけです。小学校二年生にお散歩の意味を教えるというのはちょっと難しいものです。なぜ山に登るのか、そこに山があるからさ、そんな心意気は小学生には通用しません。ましてや、散歩なのです。
逃避行の言い訳として、お散歩が使いづらくなってしまいました。1時に散歩に行きたいと言っても、「どこにも行かないんでしょ、3時にしなさい」と指導がはいるようになりました。以前なら、何時に帰ってくるのと言われるだけでしたが、今は目的のない意味の分からない、徘徊行動をゆるしてくれないのです。散歩って何なんだろうねえ。
コメント
散歩って、どこにも行かないことですよね。
しかしうちでは想像力の無い母から買い物を頼まれたりします。
それでは目的が出来てしまいます。コースも限定されます。それは母には理解できません。
うちは文革中国かと思う時もあります。散歩を納得できない子供に行動を制限されるのはクメールルージュか
甥っ子に聞いたところ、難しい宿題はもう
すでに終えているとのこと。あとは簡単な
同じ字を繰り返し書く、練習帳のようなものだけなのでおじさんの出番なし。
ウォーキングは難しいなー、歩くにしろ、
バイクに乗るにしろ、どこかに移動する手段だと
信じているからねえ。
「ウォーキングに行く」もしくは原付でおでかけだったら「ツーリングに行く」と言ってみてはどうでしょう? そうすれば、目的地がなくても許されると私は思っていますw
散歩って、どこにも行かないこととは言い得て妙ですね。過労で死んでしまうのでという本当の理由も心と体の健康のためという本来の理由も封じられた上での王手で詰んでいるのではないでしょうか。ここは甥っ子さんの夏休みの宿題や2学期の教科書を名人が勉強したらいいんじゃないでしょうか、今のうちに圧倒的な力の差を印象付けておくのです。問題は甥っ子さんが高校生になったときですから・・・。