人狼ゲームとしての教育機会確保法(3) バカな村人を味方につける方法

 バカな村人にどう対応するか、というのが人狼ゲームのカギになるという話はもうしましたよね。人狼陣営であるなら、利用できそうなザコをいち早く見つけ出し、さとられないように、そっと喜ばせて、味方につけなければいけません。

「君は、おバカさんの気持ちを考えたことがあるか!」
 誰からも尊敬されず、子どもの時から現在までみんなから頭がいいと思われたことがない、仲間内からの評価も低い、そんなおバカさんの気持ちを君は一度でも考えたことがあるのか!

 バカな村人はね、尊敬されたいんですよ。他人からの評価に飢えているんです。そこを狙い撃つのがセオリーです。人狼ゲームによくある、バカな村人を説得して味方につける方法というか、心理戦がこれ。

 ①まず、バカな村人をけなします。最初の一周目はわざと疑っているそぶりをみせ、こいつは怪しいと言ってみたり、発言の揚げ足をとって、バカな村人から恨まれるようなことをわざとするのです。バカな村人はあなたに憎しみを向けるでしょう。子どもの時から尊敬されず、頭が悪いと言われ続けてきたバカな村人が、ゲームの中でまでバカにされたら、そりゃ、むっとするし、恨みもしますよ。

 ②二週目のターンが勝負です。バカな村人を今度は褒め称えてください。バカな村人を怪しんでいたがそれは間違いだった、自分の考察がいたらなかった、ごめんなさい、あなたは真の村人ですと、太鼓判を押してあげるのです。これでバカな村人を取り込むやり方。

 自分の非を認める、ふりをする。これにはふたつの効果があります。まず、バカな村人をいい気分にさせることができる。やっぱり自分の言い分のほうが正しかった、やっとわかったか、ガハハと、バカな村人はあなたに対して優越感をいだくはずです。

 勝者が敗者に寛容なように、間違った考察であったとわびてくるあなたに、図に乗ったバカな村人はあなたをゆるすだけでなく、あなたに対して好印象を持つでしょう。

 バカな村人だけではありません。過ちを認めて改めるという行為は、実は賢い人間にだけできる行動なのです。村にいるひと全員に対しても、よいイメージを与えることができます(見抜かれてなければの話ですが)。

 ③はい、もうバカな村人は仕上がっていますから、あとは適当に嘘でもなんでついて、堂々とバカな村人を味方につけましょう。嘘をついて村人をだますのが、人狼ゲームにおける人狼の仕事ですから、それをやる。①と②をやったあとなら、その仕事はスムーズにいくはずです。村人を人狼と信じ、人狼を村人と思っているバカな村人に、さりげなく、目立たないように同調していき、村人を多数決で処刑していくのです。

 自分の意見が尊重される、自分の考えが支持される、生まれて初めてまわりの人たち(村人をよそおう人狼)からの尊敬を得て、バカな村人は有頂天になります。ここで村人が説得したところで、上から目線の説教だと不愉快に感じ、逆恨み、ますます自分の考えに凝り固まっていきます。こうなると村人陣営はほぼ負け確定ですよね。

 以上が、人狼ゲームにおける、人狼陣営側の、バカな村人を洗脳して勝つ、というひとつのやり方ですが、現実の教育機会確保法における賛成反対のあれやこれにおいて、文科省及び自民党が、フリースクールの代表にやった手口がまさにこれだったなと、今となって気付くのです。

 これまで、不登校を問題行動として学校復帰させることしか考えていなかった文科省と自民党が、教育機会確保法を作ろうとしたとたん、あの人狼連中ときたら、にわかにフリースクールを訪問しはじめ、素晴らしい取り組みだとか、不登校は問題行動ではないとか言い始めたのです。

 本気でそう思っているのなら、文科省が何十年とやってきた、不登校対策そのものが問題行動であったとお詫びして、全員切腹、その場で自害して果てろ! とそこまで言いいませんが、踏みつけてきた側が、そうじゃないと言ったくらいで、踏みつけられてきた側が喜んでいるようでは救いようがない。しかし人狼の訪問を受けたフリースクールの代表たちは、(自分たちの取り組みのおかげで)文科省が変わってきたと喜んでいるのです。

 同業者からの評価は低いが、文科省からの評価は高い。そんな人狼の訪問をうけたフリースクールの代表がいかに、「バカな村人」であるかは、人狼ゲームを知っている人なら、体験として、分かるのではないでしょうか。

 バカな村人というのは一度信じると、忠犬ハチ公のような「犬のような義理堅さ」もあるので、人狼陣営に先行された、村人陣営は非常にキビしかった。多数決の民主主義では人狼を論破しても、バカな村人を取り込んだ人狼陣営に数では勝てないからです。続く

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