人狼ゲームとしての教育機会確保法(4) ゲームと現実

 人狼ゲームとしての教育機会確保法について、(1)(2)(3)と書いてきました。このスタイルで永久に書けるとも思うのですが、あまりにもマニア向けすぎるので、とりあえず今回でいったん一区切りといたします。

 人狼ゲームとは、もともとボードゲームで、大人数で遊ぶ、人をだますのが楽しい心理戦ゲームです。最近はオンラインでもできるので、一人でも楽しめます。村人陣営と人狼陣営にわかれて戦うのですが、簡単に言えば人狼陣営が村人陣営をだますゲームです。村人はだまされないように、人狼が誰かを当てるというものです。

 人をだます。これがゲームでなく現実であったのらならば、あなたがもし、だます側の人間で、詐欺師のような立場であったのならば、賢い人間とバカな人間のふたりの、どちらをだましますか? そんなのバカをだますに決まっている、もう答えは出ているのです。人狼ゲームもまた同じなのです。

 人狼陣営→バカな村人をだます
 村人陣営→だまされたバカな村人を説得して、洗脳をとく

 こうなるケースが多い。バカな村人とという憐れな生き物の奪い合いが、人狼ゲームなのです。

 実はね、人狼ゲームについてねちねち、うんちくを語ってきたけれども、じゃあ私が人狼ゲームにおいて、勝率の高い上級ゲーマーなのかというと、全然そんなことなくて、勝率は50%程度の半人前プレイヤーなのです。

 私には弱点があるんです。人狼ゲームをやるには、性格が正直すぎるです。村人陣営のときには自信にあふれ、いつもの歪んだ正義感を発揮し、あれこれと人狼退治に精を出すのですが、人狼陣営になるとこれが全然だめなのです。

 嘘をつくたびに黒い十字架を背負わされているようなダークな気持ちになってしまいます。ゲームとはいえ、トランプのダウトのような単純な嘘つきゲームではありません。人を誘導し、心にもない同調をしてそっと機嫌をとり、誠実さのかけらもないようなことをしなければ、人狼として村人をだますことはできません。

 しかもだますターゲットはバカな村人という、頭が「弱者」な人をたちなのです。自分より強い、賢いやつと知略をつくして勝つというゲームではありません。弱いものを食いものにして勝つゲームなのです。

 オンライン対戦で人狼ゲームをしているときに、たどたどしくだけど、一生懸命に話をしている初心者の女性プレイヤーがいたとします。ペラペラ屁理屈ばかり話す、人狼以外に取り柄のないガチおやじプレイヤーなんかより、そんなひたむきな女子プレイヤーのほうがずっと好感がもてて、信用できますよね。

 そう思った人は、もうだまされているのです。その女が人狼なのです。恥ずかしながら、ゲームの中では、私もすぐにだまされる「バカな村人」なのです。あの女はゆるさん! と六畳間でひとり憤慨しておるのです。

 しかし気に病むことはない。心理戦に関していえば、ゲームより現実のほうが分かりやすく、見破りやすいのです。教育機会確保法に関して言えば、「バカな村人」をだます方法というのはパターン化されており気づきやすい。

 人狼陣営は「バカな村人」を視察と称して訪問する。そして有識者として、バカな村人を検討委員会だとか、審議会のメンバーにする。人狼は、このようなワンパターン作戦でバカな村人あやつろうとします。そこに注目しておけば、誰が人狼で、誰がバカな村人かくらいは簡単に判別できます。

 バカな村人の諸君も、学問がなく見識も低い自分が、なぜ有識者として検討会もくは審議会の委員に選ばれたのか、なぜ先生ともてはやされるのか、その理由を「だまして利用しようとしている側の立場」から想像し、客観的に考えれば、だまされていることに気づけるはずです。その結果、洗脳もとけて、バカな村人から脱出できる。私はそう信じております。

 と、ひとまずこれで一区切りですかね。マニア向けコンテンツ、教育機会確保法については、また頃合いをみて書くとしましょう。〈終わり〉

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