本とゴミの見分け方を発見しました。本棚にある本を手にとってみて、その本にこんもりとホコリがたまっていたなのなら、それは本に擬態したゴミです。
一度読んだことあるし、名作だし、愛着もある、何よりも自分おもしろいと確信して手に入れたものばかり、でもでも、本の上、天と呼ばれる部分に、ホコリがたまっているということは、あなたも私も読んでいない、放置していたわけですよね、これからも放置され続ける可能性も高いよね。ゴミでないと言い切れるだろうか。
何歳になっても文学青年、おもしろかった本は、いつかまた読みたい、2度、3度、読み返したい。ただ人生に、“いつか”がちっともこないのです。だから、捨てるのですが、そんな捨てた直後に限って、あの本が必要だということにもなりかねん。
そんな万が一が、来てしまったら、その時は図書館に行って借りてくればいいんでやんす。運悪く図書館にない場合も、今はネットで簡単に手に入れられる(マーケットプレイスやヤフオクで)。
それくらいは主も分かっている、それでもなお捨てられない人間の、心の問題。本を売ってしまったら……、毎日テレビを見ているような人たちのように、自分がつまらない、薄っぺらな人間になってしまうのではと、ひきこもりクリエーターは怯えるのです。
根強い、ひきこもりゴミ信仰があるのです。ゴミの量に比例して、人間の中身も充実していく、「心の豊かなゴミ屋敷の主人」幻想が、無意識のうちにある。本あってこそのひきこもりという自負がある。知識と教養とゴミとは、セットなんです。一理あるでしょ、それでもやっぱりゴミ屋敷はゴミ屋敷。
ゴミ屋敷の主が、クリエイターであるとは限らないどころか、可能性としては低い。そう言わざるをえない。ゴミ屋敷の主だから、新しいものを生み出す、なんてことはあまりない。なにひとつ生み出さないゴミ屋敷の主人が圧倒的多数なのです。
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タンスの上にはダンボールぎゅうぎゅう。
何が入っとるか、分からん。(@@)
<だらだら続く>
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