組織のなかで個人としてがんばっている人について

 国や行政に対して問題点を指摘して批判すると、どこかの誰かが必ず言う、改革の意気を挫き、押し留める、現状維持賛成のマジックワードがありまして、それが「個人としてがんばっている人がいる」というやつなのです。似たような言い方としては個人として良心的だとか、尊敬できる人がいるだとか、まあいくつかパターンがあるよな。

 「個人としてがんばっている人がいる」の言わんするところは、批判ばっかりしていないで、応援しろとまでは言わないけれども、とにかく悪くいうばかりが能じゃねえだろ、という方向に話をぐいっと持っていき、気づけば問題点を指摘し批判するやつはクソ野郎だなといった具合に、この世界の片隅においやる、いつも我々がやられてしまうアレでございます。で私は、この詭弁に対策が必要だなと、前々から考えておりました。いったいなんなのか、あまり出会ったことがない、個人としてがんばっている人って。

 どんなところでも、国や行政や企業のなかにも、個人としてがんばっている人、良心的な人、尊敬できるような人はいるでしょう、甘めに見積もっても100人のうち3人くらいはいる。でも、だからなんだと言うのですか。国や行政と直接やり取りする当事者にとって、相手になるのはいつだって、がんばらなくて、偏見をもった、尊敬できない、そんな多数の、組織としても個人としても尊敬できない人たちばかりじゃないですか。

 腐った組織、制度、構造のなかで個人がいくらがんばっても、なにひとつ報われない、それが組織であり制度ではないでしょうか。がんばっている個人が制度や組織を乗り越えて理想を実現できるのであれば、その制度に欠陥があるのです。がんばる人に同情して、問題点の指摘や批判をやめたり、ゆるめることは、腐った組織を喜ばせて、腐った制度を維持させることにしかなりません。

 なかの人の個人的ながんばりというのは立派ではありますが、そのことと問題点を指摘して批判することとは関係ない。批判はどんどんやるべきだし、その方が実のない応援よりもプラスになる。

 


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