人民新聞の5/25号に、コラム・ポンチピープルの三回目が載っています。手に入らないという人は、諦めてください。前回は親が死んだらどうするのというひきこもりの王道テーマを書きましたが、人民新聞といまひとつフィットしてないなぁという反省から、今回は橋下市長率いる維新の会をネタにひとつごりっとしたやつを書いてみました。いかかがなものでしょう。
自分で紙面を見てみましたが、完全に人民新聞に飲み込まれてしまって、ひきこもり名人らしさが消えちゃっているなと思った。ごりごりの政治ネタでは、人民新聞の記事に勝てない、コラムが弱々しく見える。次回は違う感じで、工夫していきます。
そして、ついに人民新聞がリニューアルを決めたようです。新タイトル候補は、1.民衆新聞、2.衆報「〇〇」、3.雑民衆報、4.革(あらた)の四つ。この中から読者アンケートをして、決めるようです。私が提案した、「アマ市民」と「へちま民報」は予選落ちでした、残念。
余談ですが、ひきこもり支援サイト名は、「ひききこもり☆ホイホイ」がいいんじゃないかと提案しましたが、即棄却でございます。
コメント
「じんみん☆しんぶん」でいいと思う。
でも、そういうセンスがないから、人民新聞なんだよ。
人民新聞…
テキーラにライムと塩つけて
飲んで
考えたんですけど
「じんみん☆しんぶん」
…ふざけちゃいないよ、
ひらがな分が足りなさ過ぎる
からね、題名にせよ中身にせよ
反論があればセネガル餃子へどうぞ
子供の数だけ親の種類があると言う考えに
賛成、異議なし。多様性のない硬直した連中は滅びるものたちですよ。
ポンチは言葉のマルチプレイヤーですよ。
ただ、衆報って言葉が、日本語として死んでいると思うんだ。
人民新聞の新タイトルは、衆報「ポンチ」に1票を投じたいですね。
親学推進協会って、歴史が浅いですね。伝統とか言っている割には。
「親になるための教育」と書いてあったのですが、どうしてこう、人を枠にはめたがるのでしょうか。理解できません。子供の数だけ親の種類があると思います。
これでは、「母性」といった言葉で「母親」とは何たるものか決めつけている昔からの価値観と一緒です。その結果が、「自分は母親としては失格」と考えてしまい、子供の虐待に走ってしまうお母さんみたいな親を量産しかねないような気がします。
それにしても、受講者は勉強が好きな人たちが多そうでした。こういう人に限って、「自分は間違っていない」とか言うんですよね。
発達障害は、「発達障害に気づかない大人たち」 (祥伝社新書)に書かれているように、その基準がものすごく低くなってきています。「貧乏ゆすり」で「多動性障害」になるほどです。精神医療界は、発達障害患者を増やして金儲けしたいもようです。
人民新聞、名前が強烈ですね。新しい名前は、なんか読者に媚びた感じなので、ひねりが効いたのが候補に入っていれば良かったのに。