小説に関して、古今東西の名作と呼ばれるものは一通り読んできた、と常にふかしている、ひきこもりおじさんです。だいたい読んでいるつもりなのですが読んでいない本が多々あるのも事実です。特に海外文学の長編をあまり読んでいない。翻訳調の変な日本語を、何巻も読むのは一苦労、二苦労なので、避けてきたのです。
それでも、ひきこもり文人として、読まねばならぬと思っていくつかは読んできた。そして今回挑戦し、私を今までの読書で体験したことのない、どん底に落とし込んでくれた本が、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』(岩波文庫)です。ポイントは岩波文庫版であること。ゆるさないぞ、岩波書店!
ネットに、名作だが、なかなか最後まで読むことができずに挫折する人が多い、海外文学ベスト3、みたいなことが書いてあって、ドフトエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』の3つがあげられていた。
さもありなん、といったラインナップです。私は最後の「アブサロム」だけ読んでいなかった。フォークナーの代表作は、『八月の光』『死の床に横たわりて』と思っていたのですが、どうもネットで調べると「アブサロム」もフォークナーの重要な作品であるようです、すっかり見落としていた。
フォークナー、アメリカの作家である。ノーベル文学賞作家。郵便配達員をやりながら、小説を書いていたことでも知られる、世界一有名なゆうメイト作家でもあります。フォークナーの小説の舞台はいつもアメリカ南部で、出てくるのは黒人のことをニガー(黒んぼ)とよぶ、差別と偏見に満ちた白人ばかりです。カーボーイハットにそばかすヅラで、黒人奴隷解放に反対して、リンカーンひきいる北軍と四年間も戦って、そして負けた、あの白人連中ばかりが出てくる小説しか、フォークナーは基本的には書きません。
小説の舞台のアメリカ南部は、白人の主人が、黒人の召使いをムチでぶったたき、そのあとで「どうかこの無知で哀れな黒んぼが天国にいけますように」と涙をながして神様にお願いする、そんな敬虔なキリスト教徒の白人しか住んでいない田舎町です。『アブサロム、アブサロム!』も例外ではありません。
さあ、これからは小説の内容について話しますので、これから「アブサロム」を読もうと思っている人は、読まないほうがいい。ストーリーがわかってしまうからね。『アブサロム、アブサロム!』とは、南部の田舎町に突然やってきた男、サトペンが一文無しから大地主へとのし上がり、富と力を得るも、最後にはすべてを失うという物語です。サトペンが何のためにこの町に来たのか、どうやってのしあがったのが、なぜ破滅したのか、それらが語られていく。
とある大学生が老婆の家に呼び出される。老婆が大学生相手に、今は亡きサトペンについて語りだす、ネチネチ、ネチネチ語るのです。粘着トーク。そもそもなぜ大学生が呼ばれたのか、なぜ急にサトペンについて語るのか、まあ待ちなされ、いまから話すから、あわてるでない、と言った具合に、ゆっくりと婆さんが、ねちねち語るが、長く、もったいぶった語り口に、ああああ、イライラする。
婆さんの話が長すぎるので、大学生はいったん家に帰る。すると家には、古い手紙をもった父親がいる。その手紙はサトペンの家族からもらったもので、なぜその手紙がうちにあるのか、なぜあの婆さんが急にお前に、サトペンの話をし始めたのか、今度は父親がネチネチ、ネチネチ語り始めるのです。父から子へ、一方通行の粘着トーク。この父親も婆さん同様、サトペンについて、もったいぶりながら、ねちねちと、サトペンという男の栄枯盛衰について語っていくのです。ああああ、イライラする。
果てしない、粘着トーク。町に住む見知らぬ婆さんと、自分の父親に、サトペンという男について一日中ねちねち話を聞かされる大学生と、同じ立場で話を聞くことになる。、そして少しずつ読者はサトペンについて知るのです。そのねちねち話が一区切りついたところで、上巻が終了です。
全2巻だから、ちょうど半分。ここで、私が文学小説を読むにあたって、特に海外文学長編を読むにあたって気をつけていることを紹介したい、それは、家系図とか、解説とか、登場人物の説明とかを、読まないこと。文庫の巻末とかに、小説内の人間関係をわかりやすくするための図がついている場合がありますが、あれを私は見ないのです。
家系図が特にダメ。ネタバレの宝庫。この人と、この人が結婚するんだ、ということが家系図をみると最初から、小説を読まずして分かっています。こういうのが小説の興を削ぐんです。長編小説の場合は、短編と違ってストーリーが重要ですから、登場人物がこの後どういう人生をたどるか、わからないまま読んだほうがずっとおもしろい。
だから私は、この岩波文庫版『アブサロム、アブサロム!』の、巻頭についている、サトペン家系図も、各章の説明も、町の地図も見ないで、ただ小説だけを読んでいたのです。ノーヒント、前知識を何も持たずに読む、丸腰環境をととのえて、この名作小説に挑んでいたのです。
しかし、上巻を読み終えたので、まあおおよそ舞台である、アメリカ南部の田舎の町についてはわかった、そうおもって、つい油断して、巻頭(の12ページ)にのっている、地図を見てしまったのです。そこで、かつてない衝撃(ド肝と尻子玉を同時に抜かれたほどの)を受けたのです、地図の上のほうには、こう書かれていました。
○○が○○に殺された場所
ママー、ママー、ネタバレだよーーっ。○○には当然、小説の登場人物の名前が書いてある。このブログでは伏せ字にしたが、実際ははっきり書いてある。上下巻の上巻には書かれていない出来事が、おそらく下巻で起こるのであろうことが、そして推測するに、おそらくこれが、この小説のクライマックスであろうと思われる出来事が、巻頭の地図に書いてある。どの場所で、誰が、誰に、「殺される」かってことまで、分かってしまった。
おい岩波書店! ありえねえネタバレだろ、犯人と被害者同時ネタバレって、どうすんだよ、何を心の支えにして下巻を読めばいいんだよ、もう分かっちゃったじゃないか、あいつにここで殺されるんだろ。おい、翻訳者、藤平郁子! お前これでいいと思っているのか! おい岩波書店、ふざけんなよ、ゲームの攻略本じゃねえんだぞ、いや攻略本ならこの部分は袋とじにしてるよ、クライマックスを一方的にバラすってひどすぎるじゃないか。いろんな小説を、数え切れないくらい読んできたけど、こんなの地獄は生まれて初めて、壮大な小説のネタバレが、「地図」にかいてある。巻頭だぞ、巻末じゃないんだぞ。
『アブサロム、アブサロム!』被害者の会というのを立ち上げて、岩波書店の編集者をねちねち説教してやりたい。文学というものをまったく理解していない、ゲーム攻略本育ちの編集者が本をつくるから、こんな岩波ネタバレ文庫ができてしまうのです。もうこれ以上被害者を増やさないためにも、ここに警告を発しておく。
岩波文庫版『アブサロム、アブサロム!』を読むときは最初に、巻頭の、小説以外の部分、家系図や地図の部分を、破り捨てろ。破り捨ててから読むべし。もしくは素直に、ほかの出版社から出ているものを読むべし、例えば講談社学芸文庫とかね。むんむん。
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