月刊 瀬戸内寂聴 第6号

「ズコーッ」、これが雑誌を読んだ感想です。寂ちゃんファンの方だけ続きをお読みください。

the 寂聴 第6号

 ばーん、お待たせしました。ついに完結、瀬戸内寂聴責任編集「the 寂聴」の第6号です。ずいぶん探しましたよ。本屋を三軒はしごしてようやく見つけました、誰が読むんだこんな雑誌、それは私と君なのですよ。

 本屋さんから見放されたラヴ雑誌、無事に発売されていたということを確認できただけでも感謝の気持ちで一杯です。ありがとう、角川書店。さて、前回の寂聴先生一歩も歩かずじまいのお遍路の旅の後編が今回の特集です。寂聴のお遍路【完結編】とあります。前編の次が、完結編と不自然なつながりですな。前回の無内容にそうとう抗議がきたに違いありません。素直に謝らずに、完結編などと大きく出るあたりが、さすが寂聴先生です。こういう生臭さは、寂聴一流のものです。まず、結論を言いましょう。

 4ヵ所です。隔月発売雑誌、二号に分けて特集を組んで、たった四つのお寺を訪問にとどまりました。いかがなものでしょうか。四国八十八ヶ所お遍路の旅の、常識をくつがえす蛮勇、大なたをふるいましたな。寂聴先生は、いったい何がしたかったのでしょうか。<続く>

コメント

  1. 自分の能力と、ブッダの教えが
    しっかりかみ合ってこそ意義があるのです。
    肉は満腹になるまで食べる、お遍路めぐりはお断り、そんな自己に
    あうような教えが、仏教の中にあるのでしょうか。なんのための
    出家なのでしょうか。京都寂庵にじきじき乗り込むしかありませんな。
    小さい画像だとよくわかりませんが、
    とにかくシワだらけで、笑っているのか
    怒っているのか分からない表情をしていますよ。

  2. 表紙の「してやったり」と言わんばかりのニヤつき…寂聴氏さすがですね。想像の斜め上を行かれます。

  3. 『教をえらぶにはあらず、機をはからうなり  (法然の言葉)』
    教えを選ぶのではない。まず仏教についての自分の素質能力を見極めることだ。
    誰でも自分を直視することは嫌なことである。自分の愚かさ、醜さに気づくからだ。
    しかし自分を知らないでは、何事も前進することが出来ない。
    これは、寂庵HPトップにある9月の≪今月のことば≫です。
    勝山さんが
    「たった、四か所の訪問でお遍路の旅とはなんたることか!」と仰っていますが、その問いに対する答えは、まるでアンサーソングの様に寂聴先生のHPに書かれてあるではありませんか!
    「わたしはもう80も半ばを過ぎているのよ! 全部周れる訳ないじゃないの。無理して全部八十八ヶ所巡るなんて己を知らないものがすることよ。わたしは自分のこと良く解っているから、四か所しか巡らないし、断食も途中でやめちゃうのよ。」
    と云わんばかりのお言葉です。
    勝山さんの様な熱心な読者に「おかしいぞ!」と突っ込まれる前に、先手を打っていた訳ですね。
    いやはや、またまた先生にやられてしましました。

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