暗黒

よもやま話

ファイアーエムブレム風花雪月には教養がない 【ネタバレ】

ライフワークであるファイアーエムブレムシリーズの最新作、「風花雪月」をやりました。いろいろ思うことはありますがが、一点、やはりストーリーの倫理観のなさが、ただただ不快でした。  やったことない人のために簡単に説明をすると、第一部は学園モノとなっていて、自分は教師となり、3つのクラスからひとつを選んで担任となり、そこの生徒たちを育成する。そして第二部へと進むのですが、信じられんことに、  戦争とはこういうもの、という理由で他のクラスの生徒をほぼ全員殺していきます。避ける方法はない、仲間にすることはもちろん、見逃すこともできません、だって殺すことがゲームの勝利条件なのですから。いかがなものでしょう...
ひきこもり

ひきこもり業界人

自己紹介する時、最初に「自称・ひきこもり名人、勝山実です」と言います。それに対する反応は、たいてい失笑です。ひきこもり・不登校業界から縁遠いイベントであるほど、この一言で、笑いがおこる。ただしひきこもりも全く知らないというほど遠すぎる集まりとなると、あたたかい笑いではなく、嘲笑というか、侮蔑になる。  もっとも嘲笑われたのが、平成26年度藤沢市公益的活動助成事業プレゼンテーションの時です。湘南ユースファクトリーという、NPO法人になろうとしてなれない任意団体があるのですが、そのメンバーの3人うちの1人として、銭っ子が欲しさに、プレゼンテーションをしました。公開助成金オーディションです。  思い...
よもやま話

なぜ戸塚ヨットスクールは、ヨットレースの選手を育てないのか?

なぜ戸塚ヨットスクールは、ヨットレースの選手を育てないのか。なぜヨットと関係のない、不登校児童を相手にスパルタ教育をしているのか。本来はヨットスクールなのだから、オリンピックで優勝できるようなヨットレースの選手を育成する場所なのに、やっていることは不登校を治すための拷問です。  キ◯ガイ校長の戸塚宏は太平洋横断レースで優勝した経験者です。学校にはヨットレース選手が集まってもよさそうですが、そうならないのは戸塚宏のヨットレースの勝因が「我慢」にあるからです。ただ、ひたすら我慢でレースを制止てきたのですよ。  船体を軽くするために食料を減らし、時間のロスを減らすために睡眠時間を減らした。食料は乾燥...
よもやま話

戸塚ヨットスクール

戸塚ヨットスクールで女性自殺(魚拓)というニュースがありました。4人殺して、たった懲役6年でおなじみの戸塚ヨットスール、校長は戸塚宏。入塾にはまず335万円を払い、毎月生活費として11万円払う。何がどうなると、こんなことか成立するのだろうか。戸塚校長その人が、非行・犯罪の頂点にいるのに。
ひきこもり

俺たちのほろ苦いメモリー

いきなり不登校になる人もいないと思う。最初は家を出て、そして学校ではないどこかに行くんだ。暗黒高校2年生の時だろうか、ボクは山下公園のベンチに座り、鳩にむかってポップコーンを投げて時間をつぶしていた。学ランを着た高校生の周りを大量の鳩が囲んでいる絵を想像して欲しい。  高校に通っているというアリバイ作りのつもりだった。でも、やってることと言えば野毛の大道芸人も真っ蒼なシュールコントだった。今は何も誇れるものがなくてもいい、ただ朝の9時に山下公園で鳩に餌をやるのだけはやめよう。それがひきこもりの先輩である私からのたった一つのアドバイスさ。
ひきこもり

ほろ苦いメモリー6

小3の時に担任だったⅠ先生は非常に礼儀にうるさかった。私は授業中にビー玉をいじっていて、先生に見つかって叱られた。そして「そんなに遊びたいなら運動場で遊んで来い」と教室を追い出された。  ビー玉を持って運動場で呆然としていると2階の教室の窓から「ちゃんと遊べ」とⅠ先生に怒鳴るので、あわてて運動場の砂の上にビー玉を転がした。他のクラス体育の邪魔にならないように気をつけながら運動場にビー玉を転がした。確か2時間くらい転がし続けて、やっとゆるしてもらえたと記憶している。
ひきこもり

ほろ苦いメモリー5

小学校3年の時担任だったⅠ先生は非常に礼儀に厳しい人でした。小学校では名札を胸につけるのですが、付けずに家に忘れて来ることもあります。Ⅰ先生の法律では1回忘れたら2時間廊下に立つ、2回忘れたら4時間廊下に立つ、3回忘れたら一日中廊下に立つ、4回忘れるとニワトリ小屋の中に一日中立つという罰が待っていました。ヒトラーよりも気狂いなティーチャーです。私は丸1日学校の廊下ですごしたことがある。廊下で食べる給食は味がしないねえ。
ひきこもり

ほろ苦いメモリー4

私は高校のとき、時々学校に行く登校拒否でした。登校拒否が恥ずかしいという気持ちに欠けていた。だから突然ぶらりと学校に行ったのです。久しぶりに学校に行くと席が1番前の真ん中になっていました。さすがにそこで授業をうけるのは無理と、朝のホームルームだけ受けて、速攻で帰宅した。ああっ、あれもいじめだったのかなあ。
ひきこもり

ほろ苦いメモリー3

小学校5年生くらいの時には、勉強のできるおとなしくて真面目な子どもロボットとして完成していました。それで問題なしと私は思っていましたが、当時担任だったK先生の考えは逆だったようです。勉強だけできておとないしい子どもは実は問題があると考え(見抜いて?)、私はK先生から「勝山君、生きろ!」とよく声をかけられました。  「生きろ!」とはただ生きるという意味ではなく、生き生きと活力に満ちた、充実感が内面から湧き出る、そんな風に生きろという教えです。私は毎日死んだ魚を目をして勉強ばかりしている要注意の生徒でしたから、強制的に私の席は教室の一番前の真ん中、教壇のすぐ前。授業中でもたえずK先生のチェックをは...
ひきこもり

ほろ苦いメモリー2

小学校6年生の時に立候補して学級委員になった。本来なら男女1名ずつ2名選ぶ、ただ立候補者が多かったので、今回は特別にと先生の粋なはからいで男女2名ずつ計4人が学級委員になった。その4人の中の一人。でもリーダーは4人も必要ないので、私は何もやりませんでした。何もしない無責任な学級委員として、先生からの評価を著しく落としました。
ひきこもり

ほろ苦いメモリー1

高校の3年の時は完全な登校拒否で、ほとんど学校に行っていない。何ヶ月ぶりに学校にいったら自分が学級委員になっていた。不登校で学級委員になったのは私だけなんじゃないだろうか。あっ、もしかしたらいじめられていたのかも。
ひきこもり

カウンセリング・夢はかなう編

心身ともに健康な人にカウンセリングなど無用ですが、私のように精神が病み頬はこけ肌は土色のひきこもりであればカウンセリングを受けるのもやむおえないというもの。1回12,000円という詐欺カウンセリングで私がやらされたことの一つに夢を紙に書くというものがありました。実現可能かということは無視してやりたい、やれたらいいなというのを紙に書く。そして数ヵ月後、数年後そのやりたいことがどれくらいできたか確認するというものです。  びっくりするくらい夢はかなう。なぜならひきこもりの夢は小さいからだ。本当の謙虚さというのはひきこもっている人にしか備わらないものだと思う。私は紙に70ほどの夢を書いた。47個の夢...