ひきこもり=有罪でしょ。敏腕弁護士もひきこもりを無罪にするのは難しい。そんな中、かつてオノ・ヨーコによる名弁護があったことをご存知だろうか。約一年前、ドキュメンタリー映画「PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン」の舞台挨拶において、ひきこもりについてコメントを求められ、こう答えている。
「昔、禅の僧侶は引きこもっていたものです。その時に書いたお経などは、誰の目に触れることがなくても世界に影響を及ぼしていたとか。だから引きこもって いる人たち、特に子どもたちを悪く言わないでほしい。平和を思ってそこにいるだけでもいいんですよ。彼らは現代の禅僧侶かもしれないし」webザテレビジョンより引用
さすがラブ&ピースし続けているだけある。オノ・ヨーコというとビートルズに余計な口出しするおばさんという悪いイメージがありましたが、間違っていました。ひきこもりに対する完全な弁護ではないでしょうか。ひきこもり&ピースな世界に一歩近づいた。
コメント
ひきこもり=悟りに近くある者・・・
本来は、ひきこもりは、自分自身にそして他の事象に対しても、じっくり考える行為だと定義すべきでしょう。
しかし、お金稼ぎに躍起になっている時代のトレンドリーダーなどと自称している人にとって、自分の考え、それに従う行動を拒否する人は、迷惑と思うのでしょう。
その為に、人格否定を初めとする多くの正統的(本来は非正統的なはず・・・)な行為として、強引に排除する動きもあるようです。
そんな感じで出来上がった、この時代・・・
多くの賛同者は、この時代を生きやすい時代と考えておられるのでしょうか。
ひきこもりは、世の中のノイズが受け入れられない為、それをできるだけ除く為の自己防衛行為なはずです。
そして、御坊さんのように悟りを開く境地に至れるのでしょう。
オノヨーコの一本勝ちでしょ。大人とは
こういうことを言える人だと思う。
27条には、「児童は、これを酷使してはならない」とありますから、
専業子供であるところのひきこもりも
これを酷使してはならない、
そんな屁理屈は苦しいですかねえ。
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。(日本国憲法第27条)
憲法を変えるなら、27条の「義務を負ふ」だけを削除してほしいです。
ひきこもり改憲論、いかがでしょうか。
たしかにひきこもっていると争おうという気持ちがなくなりますよね。
ぼくなんかはまだギラギラしてるので、もうちょっと落ち着いて平和を考えようと思います。
しかしオノ・ヨーコさんっていいこと言うなあ。