元ひきこもりと称する人が、人前に出て体験談を話す。例えばひきこもりの子どもを抱える親の会の集まりなどの壇上で、ひきこもりを脱出するきっかけや、働けるようになったやり方を話す。もうお馴染みですよね、脱ひきこもり劇団です。ヒキコモリCATS、ヒキコモリ座の怪人など、劇団四季を彷彿させるロングラン公演です。
でもお芝居の世界での話でしょ。現実には脱ひきこもりだとか元ひきこもりだとかは存在しません。ひきこもりにつく言葉は、永遠だとか生涯という単語に限られます。まあ、娯楽作品として楽しむぶんには、悪くはないかもしれませんがね。
コメント
容姿端麗はきっとよいものに違いありません。
個性的で面白い容姿など、捨てれるものなら捨てたいのであります。
ひきこもりを否定する人の表現力のなさには
ほとほと嫌気がさしますよ。
筏とか劇団とか、勝山さんの引きこもりの表現方法はユニークでとても楽しいですね。引きこもりを頭ごなしに否定する人には絶対浮かばない発想だと思います。
ポジティブについてですが、自分は人から不用意に褒められると警戒してしまいます。どうしても言葉通りに受け取れずに、何かしら裏の意味を考えてしまうんですよね。だからといって貶されたり罵られたりするのもダメなんですが……。
仕事で叱責や否定をされて逆に張り切る人がいるようですが、自分はそういった心境は理解出来そうにありません。なんか、しょうもないですね。(苦笑)
ひきこもりは、正に永遠なものだと思います。
ひきこもり脱出!という、ひきこもりは悪いもの、直すべきものとされている事が前提ですが、本当にそうでしょうか。
ひきこもり状態と言うのは、あくまでも僕の考えですが、世の中の考えに自分自身が合わない、もしくは自分自身の思想や行動などの「個性」を守り抜く行為であると考えられるからです。
世の中は、昔からですが、明朗活発!容姿端麗!(笑)がよしとされていますが、それはもしかすると、自分自身の大切な個性を放棄する行為で、他の誰かが作った思想に合わせなさいと言う事だと思えます。
ということは、ひきこもりが直りました、元ひきこもりでしたという表現は、見かたをちょっとずらしてみると、「自分の考え、行動などの個性を捨てられました。」
「個性を捨てる事ができたんです!」って聞こえてくるようです。