2011年4月10日、高円寺でおこなわれた「原発やめろデモ!!!!!!」に行ってきました。ひきこもりには敷居の高い、デモに参加です。以前、メーデーのデモに行ったときには、勇気が出ず、配っているチラシ一枚もらうだけで精一杯でした。しかも、雨宮処凛だと信じていた人が、ゴシック・アンド・ロリータの服を着ているただの人であったと、家に帰ってから気付きショックを受けました。ほろ苦いメモリーです。
私は今回、友人と待ち合わせをして行きましたが、基本的にひきこもりは単独行動です。ゆえにデモというのは難しい。デモの醍醐味っていうのは、現地に行って偶然知り合いにあうこと。顔のひろい人が楽しめるようにできています。集合場所で知り合いを見つけ、楽しそうに話をしている、なのにひきこもりの自分だけワンマン参加、ぽつねんとダンマリを決め込みます。ゴリゴリの反原発で来たのに、心がこじれて反・反原発になってしまう人も多いと聞きます。
ひきこもりとデモ。この二つの間を裂いてしまう、ぼっち問題です。ちくしょー、自分はただ黙って歩いているだけなのに、周りの連中はおしゃべりして、音楽にあわせて踊ったりして、楽しそうじゃねえか。学校やバイト先だけじゃなく、デモでも一人ぼっちかよと、すねてしまうのです。
ひきこもりにとって、いやほろ苦い人生を送っているすべての男子にとって、デモは苦行なのです。我々は苦行僧なのです。「原発やめろ!」というのはシュプレヒコールではありません、あれは御念仏なのです。極楽浄土へといざなう、ひきこもり念仏です。原発やめろ! と1回言うたびに、レンタルお姉さんが1人死ぬのです。
デモが楽しいなんて嘘です。サッカーに興味がないのに、浦和レッズサポーター席のど真ん中に陣取ってしまったようなものです。業ですよ、ひきこもりの。我々の人生はそうできているのです、高円寺で悟りました。あの尊い御仏からの試練なのだなと。そう思うと4時間歩いていても、心の安らぎをキープできます。徳をつんでいるという手応えがあります。
ゴールの駅前の広場にいくと、いろいろな有名人がいました。私の尊敬する鶴見済さんもいました、阿弥陀如来に相当しますね。あと本物の雨宮処凛さんもいました。素人の乱の松本哉さんとか、だめ連の神長さんとかペペさんもいました。普段見ることのできない、有名文化人を生で見れるのもデモの楽しみです。一人で参加したときなどは特に、自分の好きな有名人の近くでうろうろすることをお薦めします。同じことを考えている、「ぼっち軍団」が必ずいます。心が響き合う。工夫をして、デモに参加しよう、心がイジケてだめになってしまわないように気をつけよう。
コメント
私は地震があったその瞬間も寝ていました。
正確に言えば起きてはいたんですが
揺れで目を覚まして布団の中にいながら
「あ~ 揺れてるなぁ」と思っていました。
「東海地震きたかなぁ…死ぬのかなぁ」とか
考えていたら揺れはおさまったので、また眠りに入りました。
そんな感じで1か月くらい1日のほとんどを
寝て過ごす生活をしていました。
原発の爆発のニュースを知ったのも毎日夜になって起きてきてからのことでした。
次々に爆発していく原発の写真が載っている新聞記事を眺めながら、どうなるんだろう…と不安を募らせつつ、夜早く寝て、毎日夕方になるまで寝ていました。
原発事故の最中であるということを考えれば
寝ている、ということが意味のある行動と言えます。それでよし。
だめ連の本拠地は早稲田ですねえ、高円寺は今流行りの
素人の乱の本拠地です。デモは職業訓練以上に敷居が高いですぞ。
おぶろもふ氏の神通力には感服しました。やはり
ひきこもり力があるとあの大混雑のなかでも会うことが出来るのですな。
僕は鶴見済さんのブログを見てこのデモのことを知り、ぼっち参加しました。集合場所の公園はものすごい数の人で満員電車の中みたいでしたが、僕のすぐ隣にiさんがいてあまりの偶然にびっくりしました。これぞ「ひきこもり力」というものなのかもしれませんね。
高円寺、デモと聞いただけですぐにだめ連界隈の人が参加してるんだろうな、と思いました。
まあ、だめの界隈なんていったら怒る人いそうですが。
基本的にデモは考えが外向きな人のイベントですよ。日々念仏を唱えてる自分には敷居が高いです。
レンタルお姉さんだけじゃなく自分自身に対しても許せなくて念仏唱えてますが。
反原発デモ…ですか…
参加したいのですが、参加する勇気もないし、たぶんこんな田舎では誰もやらないし、だからと言って大都会に行く勇気もお金もないし…というわけで署名だけで済ませてしまっています。
最近寝ている時間が増えているため、行動に制限が出ています。とにかく眠いのです。
日を追うごとに一日寝たろうの生活に近づきつつあります。花粉症もそれを助けているようです。外に出るのはとても億劫です。