ごく一部の人に話題の多様な教育機会確保法案(旧名称)が成立寸前です。この法案の作っている議連の座長である馳浩(元プロレスラー、現在自民党議員)がブログにこんなことを書いていたので引用します。
「個別学習計画にはまだ異論のご意見が出るも、さりとて対案はなし。」
反対というだけで対案はねえのかよ、というところでしょうか。最近の風潮として、意見に反対すると、 「対案をだせ」ということになる。賛成か反対かではなく、賛成か対案を出すかなのです。反対も立派な対案だと主張しようものなら、やれやれ困ったやつらだ、反対のための反対だと、ますます相手は嬉々とし、自分こそが現実家だと思い込む。
でもそうじゃない、法案を出しておきながら、相手の批判にも答えず、対案を出せというのは、議論からの逃走なのです。現状はよくない→新しい法案→現状より良くなる、であれば問題はないし、対案をだす余地もあるが、多様な教育機会確保法案に関して言えば、こうです。
現状はよくない→多様な教育確保法案→現状よりも悪くなる
これだから反対しているのです。その代表格が個別学習計画なのですが、その批判には答えず、プロレスラー馳浩は「さりとて対案はなし」とおっしゃる。この法案を今国会で、つまり9/27までに成立させるといっている。放っておけばすぐに成立してしまう、現状維持に劣るこの法案に対しては、反対しかやることがない。
コメント
結論が決まっていたら、もう話し合いでも
なんでもないですよね。自分の意見を持てないということ。
フリースクールがというより不登校の人全員に
関わる法案だというのが悪い。逃げ場がない。
フリースクールがぜんぜんフリーじゃなくなるのでしょうか。
命からがら学校を脱出したはずなのに、駆け込んだその先もまた学校。下手をすればもっと酷いことになりかねない。
そんな懸念がネットのあちこちから伺えます。
テレビではほとんど見聞きしたことがないのが恐ろしいです……
「学校の学級会で、何を話し合っても結局は先生が決めていた。」
って、まさに学校の本質。
学級会でも、学校全体でする生徒総会でも、風紀委員会でも、何でもそう。
対馬海峡の向こうの半島の北の方の国や、ヤマギシ会と全く同じ。
遅かったけど、中学でそれに気付いた私は、学校なんて、しょせんは予備校や塾と同じ心構えで行くのが正解と、割り切った。
そうしたら、内申書に、「クラブ活動・クラス活動に消極的」との、お褒めの言葉を頂きました。