羅睺羅(らごら)、インド名ラーフラ。ブッダは二十九歳まで釈迦国の王様でしたが、中退して出家しました。その時代に生まれた子供が羅睺羅です。ブッダは悟りの開くために、国も妻子も捨てたのです。
鳴かず飛ばずだったブッダも弟子が増えていい感じになってきたので、悟りっぷりを見せつけたくなったのでしょう、故郷の釈迦国に凱旋帰国します。だがそれを喜ばない人もいました。
ブッダが来る、ブッダが王に返り咲く。自然とブッダの弟子達が大臣になるだろう、そうなれば俺達は無職になるじゃないか、そう考える側近達が多くいたのです。ブッダがいなくなった後、王になっていた羅睺羅に、側近の大臣達は「ブッダに、国と財産を譲るという証文をかいてもらいなさい」と進言します。羅睺羅は言われたとおり、ブッダに会うと国と財産をくださいとお願いします。
「親のすねをかじるんじゃない」と自分のことは棚上げにして、ブッダは羅睺羅を叱り、舎利弗(しゃりほつ)に預けて、修行させるように頼みます。羅睺羅は強制的にブッダの弟子にさせられたのです。
羅睺羅はブサイクでした。全然もてませんでした。男は度胸、女は愛嬌などと言ってごまかしていたそうです。「男は顔じゃない、心だ。心に仏があればよい」と言って、もてない中年ひきこもり仏信者の心をよく掴んだと言われます。
コメント
これって概ね事実なんですねw
ブッタって今だとめちゃくちゃ非難を浴びてるでしょう。
僕も色々な○○教からのお誘いを受けました。
この世は、2大宗教からなっていると考えます。
1つは、多数派の思考、行動をとることは、多数教の教えであり、もう1つは、多数派の教えにならった生き方をしたい、でもできない、それじゃあ、こんな生き方はどうでしょうと勧める思考を、○○宗教の教えと思われます。
多数派教、○○教の教えは、一見異なるように見られますが、どちらも共通するところでは、最終的には「○○でなければならない」と断定、強制的煽りで押してくるところだと思われます。
その他には、どちらの教えも神が創ったものではなく、あくまでも同種の人間が創り上げたものであることも同様であるような感じもします。