【瀬戸内寂聴と断食】メモ
瀬戸内寂聴と断食に関する記憶があいまいになっている。断食とは食いしん坊が一時的にご飯を我慢することではないはずだ。寂聴断食の大まかな流れ。
1991年(平成三年)寂聴が湾岸戦争(イラク戦争)に反対し、即時停戦を訴え断食を開始。その直後、米軍がクウェートに突入。断食開始から約1週間後、寂聴食べる。戦争の真っ只中空腹に耐えられず、断食を反故にして食べる。その2日後、米国ブッシュ大統領が停戦を発表。
まぎらわしいことに寂聴は、2001年(平成十三年)同時多発テロに抗議して三日間断食というお遊びのイベントをおこなっている、がここでは一切無視する。平成三年の伝説の断食についてのみ調べていきたい。ただ寂聴による隠蔽工作及び、巧妙な事実のすり替えがおこなわれており、当時の断食に関する資料がほとんど見つからない。寂聴本人の著作物の中でも2001年の三日間断食については嬉々と語っているのだが、湾岸戦争の断食についてはだんまりを決め込んでいる。いかがなものか。ちょっと調べてみた。
湾岸戦争の大まかな年表
1990/08/02 イラク軍クウェイト侵攻。
1991/01/17 湾岸戦争開始。
/01/16 「砂漠の嵐作戦」を国連と同盟国で開始。短期地上戦に続き六週間の空爆。
/02/27 クウェート、解放される。
/03/03 イラク休戦条件受け入れ。
一旦戦争中止、そして何となくイラク戦争へと続く。
1998/12/16 「砂漠のきつね作戦」が開始される。イラクの核・化学・生物兵器計画を破壊するため米英軍は4日間空爆。
2001/09/11 米国で同時多発テロ事件。
2003/03/20 米軍未明にバグダードへ爆撃を開始。米英軍地上軍侵攻「衝撃と畏怖」作戦。
/05/01 ブッシュ大統領。戦争終結宣言。
/12/13 米軍、フセイン元大統領の身柄を拘束。
寂聴の断食は新聞の記事にもなっている。ただし確認できたのはこれだけ。取り上げたのは主にテレビのワイドショーだったもよう。
朝日新聞1991年(平成3年)2月21日水曜日より 【寂聴さん反戦断食 5日目】
京都・嵯峨野で庵(いおり)を結ぶ作家で尼僧の瀬戸内寂聴さん(六八)が湾岸戦争に反対して断食を続けている。二十一日で五日目に入った。
瀬戸内さんは十七日の夕方から、お茶や薬湯以外、一切口にしていない。「出家者としては祈るしかない。なまはんかではだめ。極限状態まで心身を追い込まねば」と決意。最低七日間は続けたいという。
寂聴さんは「話し合いで解決するのが文化というもの。お釈迦様も『殺スナカレ、殺サセルナカレ』と言っておられる。断食したからといってブッシュやフセインにその気持ちが伝わるわけでもないが、戦争放棄の憲法をもつ国の一人として、世界の孤児になっても訴え続けなければ」とはなしている。
寂聴の本から断食に関するものを探してみるが、見たかったのは以下の2つ。
瀬戸内寂聴全集第20巻 エッセイ 「やっぱり断食だ」より二箇所抜粋
十年前は「殺スナカレ、殺サセルナカレ」と下手な字で書いた垂れ幕(紙製)をサンガの入り口にかけたが今度はもっとつつましくやろう。
十年前は断食七日目に倒れ、病院へかつぎこまれたが、入院して二日目、停戦のニュースを病室で見た。今の大統領のパパ、ブッシュ氏が、あの渋い顔でそれをつげた。
瀬戸内寂聴全集第20巻 年譜より抜粋
一九九一年(平成三年)六十九歳 二月、湾岸戦争の犠牲者冥福と即時停戦を祈願、断食行。
寂聴は新聞記事から17日から断食を開始したようだ。問題はいつ「食べた」かだ。おぼろげな記憶では1週間くらいだったと思うのだが、ここでエッセイを参考にしてみよう。断食7日目で倒れたとある。つまり23日。入院して2日目に停戦ニュースを見たという。停戦ニュース? 停戦はクウェイト解放の翌日28日である。計算が合わない。寂聴が嘘をついているのだ。改めなければいけない。
【正しい寂聴断食年表】
1991/02/17 断食開始
/02/23 断食失敗。入院。食事開始。
/02/28 入院5日目。食事をしながらテレビで、停戦のニュースを見る。
2/17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
寂聴は断食に失敗し、食いしん坊の仏教徒として笑いものになった。それはそれでよし。むしろ人間らしいではないか。問題なのはこの失敗を誤魔化すために似たような間違いを意識的にやるというやり方「誤謬の訂正」をおこなっていることだ。正直に誠実に失敗を認め反省することはしないで、約10年後に同時多発テロ(報復戦争)に抗議して三日断食というお遊びをやることで辻褄合わせの誤魔化しをした。なんて不誠実で生臭い坊主なんだ。
※2021/09/16 修正。『LOVE寂聴』の原点となった粘着メモ。寂聴先生を寂聴と呼び捨てております。