本当のひきこもり当事者は部屋から一歩も出ず、誰とも話さず、本も書かない(表現活動をしない)という難癖をつけられたことは一度や二度ではありません。つまり、お前は偽ひきこもりだと言う論法なのですが、一理ある。ただしそれを誰が言うかというのが重要です。
当然、部屋から一歩も出ない、誰とも話さない、何も書かない人が、テレパシーを使って、ひきこもり部屋から私の偽物ぶりを批判するのならば、それは筋が通っているし、一理ある。
しかしそうではないのです。そういうことをいうのはいつも〝アイツら〟なのです。誰が本当で、本当でないかとケチをつけ、部屋から出て話をするひきこもり当事者の意気を挫こうとするのは、いつだって悪意を持ったアイツらなのです。
アイツらの研究及びデータベース化を一人でやっておるのですが(孤独な作業だ、しかも発表する予定もない)、それはともかく、その場にいない部屋にこもって出てこない人の代弁をアイツらがするなんて、いかがなものでしょうか。
ひきこもりの場合、意見を言えないというのはゼロではない。アイツらが勝手に自分の思ってもいないことを代弁するということを考えるとマイナスの状態です。アイツらが自分に都合のいい、本当の当事者の本当の意見というものを勝手にこしらえる。アイツらめ、ゆるさないぞー!
コメント
こんばんは。
疑問に思いつつも、他に行く当ても無いので相変わらずリタリコに通い続けておりますエヴァンジェです。
事業所の様子を見ていると、お茶くみの訓練だとか、ビーズを袋に詰める訓練だとか、意味不明な事をしていて、この人たちは就職できるのだろうか?出来たとして続けていけるのだろうか?と日々疑問に感じております。
尤もその人たちにとってそれが意味あることであれば、申し訳ないとは思いますが・・・。
自分のような引きこもり当事者にとっての社会復帰って何なんでしょうかね?
一体どうあるべきなのか、さっぱりわからないです。
「お茶くみの訓練だとか、ビーズを袋に詰める訓練」ってすごいですね。
ぜひルポタージュを書いて欲しい。
\(‘jjj’)/
ひきこもり概念、グラデーションですよね。
(わたしも人生の半分近く、「ひきこもり」当事者として考えつづけてきたので)
健康・病気とか、お金持ち・貧乏とか、若い・年寄りとか・・・
すべて自分の頭のなかの相対化の話で、常にゆらぐし
(そのときの気持ちや環境や思考の深化によって、揺れるし進むし戻る)
ね。
ぼよよ~ん。
健康でお金持ちで若いひきこもりもいるのです。
\(‘jjj’)/