ひきこもり幸福論〈4〉

 鬱の人は病院に行きますが、躁の人は病院に行きません。行っていた人も治った、もう薬はいらないと、処方箋を捨てて町に出ます。正常な人だけが継続的に病院に行き、薬を飲む。そこが精神医療の難しいところです。

 鬱は治せません、正常だからです。薬で謙虚を傲慢に変えるのは無理なのです。

 一方、躁状態で元気で明るいときは、薬を飲みたがらりませんから、自然に治まるのを待つしか方法がありません。躁を抑える、リーマスなんて薬もありますが、躁ピープルは飲みません。医者には飲んでいると言いつつ、処方箋は即シュレッダーかけておしまいです。だって軽い躁状態が一生続くのが一番幸せなのですから。

 暗くて元気のない人はいいのです、明るく元気でからっぽで薄っぺらな人を治療して支援しないといけません。本屋に行くと、自己啓発本やお金儲けのビジネス書がずらりと並んでいますが、あの読者は全員、躁状態だと思ってもらいたい。カーネギーとは何の関係のない、気持ちだけカーネギーの、成功する確率ゼロの人が、躁状態特有の陽気さで、あのような本を買って読むのです。

 躁状態が蔓延している世の中でどうしたらいいのか。その命運は我々にかかっているのです。我々が躁ピープルに変わって社会問題について考え、解決してあげないといけないのです。腰を据えてじっくり考える、これができるのは正常な人間だけです。躁状態の人は、何でもとりあえずやります、考える前に行動します、彼らに自粛は無理です、まず外に出る、なんかしたがる、なにもしないなんてできない。

 結果、やらなくていいことを、やらなくていいときに、やらなくていい回数おこないます。どうでもいいを通り越して、有害なことばかりやり、ちょっと稼いで胸をはっている、それが躁状態のなせる技なのです。〈続く〉

 

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