政治には感心があるが、選挙以外の政治的活動には、一切ノータッチというのが、ひきこもりの社会運動でしょう。100万の静かなる団体、それゆえ完全にみくびられている。長田百合子の生首をかかげて、街をデモ行進してやりたい。ひきこもり賛成、強制収容反対を掲げて、世間にアピールするのです。
政治運動としてのデモを、実際に見て感じたのが、敷居の高さでした。「連帯、仲間、一丸」。ひきこもりが一発で腰が砕けてしまいそうなものを、要求されているようで、入り込む勇気が湧きませんでした。
連帯しない、仲間もいない、ばらばらでまとまりがない、「ひきこもりデモ」ぷりーずなのです。実際、貧困ワーキングプアのデモもその方向に流れています。プラカードを持って、マイクでシュプレヒコールをする人は、レースクイーンのような盛り上げ役。舞台の人ですよ。
デモに参加するということは、何となく列にまじって、歩くだけです。そのデモの趣旨や参加者に賛同するものがあるなら、飛び入り参加で歩くだけです。仲間と連帯し一丸となって行進する、そんなデモはどんどん無くなっていくでしょう。「仲間、連帯、一丸」の三つの言葉は、デモを監視、包囲している警察にこそ、ふさわしい。
昨今のひきこもりの廃れは、アピール不足が原因です。ひきこもりブームが終わったのだから、ひきこもりについて、地味に継続的に世論に訴え、人々
に呼びかけていく必要がある。ひきこもり巡礼、ひきこもり布教の時代なのです。
個人的には、社会運動はデモよりも、イベント形式のほうがひきこもり向きで、参加しやすいとは思いますが、主張を広めるという点では内向きで、デモに大きく劣る。代々木公園で、長田百合子撲滅ひきこもりロックフェスティバルみたいな形式が一番いいんだけどなあ。
コメント
僧正さんもスーツ着た人苦手なんですね。
今の時期、見ていて暑苦しいし、自分が着るのなんてもってのほかという感じですよ。
私もコーラスラインさん同様、所属欲求というのが排除できずにいます。
かといって、政党に所属したいわけでもないですね。
スーツを着た人を見る度に、地団駄を踏む毎日です。
古いタイプのデモ行進は
連帯と一丸を強要されるようで近づきがたい。
私はひきこもりを外に向けて
アピールすることができないかと摸索しております。
デモの古い体質に反対したいですね。
自由に出入りできないのは警察のせいなのだけれど。
流すサウンドしだいで、まったりデモも
可能かもしれません。たいがいテクノをかけています。
デモには大学の臭いがぷんぷんします。
登校拒否育ちですから、気遅れします。
散々会社で排斥されながら、いまだに所属欲求が捨てきれない自分がいます。
悟りの道のりは遠そうです。
ところで、社会運動系は本当にハードル高そうですね。
インテリが多そうで、正直気後れしちゃいます。
大きな声で叫んだり、人の注目を浴びたり、自己主張したりということが苦手だからこそ、ひきこもってしまうわけですからね。デモというよりは、散歩とか、だらだらしたウォーキングといったもののほうが敷居が低くて参加しやすいのではと思いますね。あと、サウンドデモのほうが音楽で緊張を解きほぐせるような気がします。
もう数年前ですが、表参道で、
「デモ反対!」って横断幕を掲げ、その通りに叫びながら
行進してるデモの人達がいて、あれはちょっとウケタw
まァそれはさておき。
私も26さんと同意見です。
社会運動なんてどこも所属欲求を満たしたい人が参加するものなんですよ。所属欲求を超越した引きこもりは無関心なものです。
斎藤環がひきこもりは政治に関心があるとか言っていましたが、まだまだです。それはひきこもり道をきわめていません。究極の引きこもりは何事に関しても無関心でなくてはなりません。もうこんな国どうなったって知ったことではありません。早く北からミサイルでも飛んでこないかなと心から願っています
そもそも「連帯、仲間、一丸」に入り込める何かなら、ひきこもらなかったですよ。