ひきこもり大演説

 就労活動には全ての悪がつまっている。履歴書を書き、面接をうける。つまり、冴えない過去と向き合い、自分の存在を全否定され、ひきこもり地獄を強化しているにすぎない。

 俺データによると、アルバイトを始めたひきこもりの半分が1週間以内に辞め、1年で90%が燃え尽き、3年で99%がフェィドアウト、5年で100%が全滅する。

 いかがなものか。世の中お金だ、働かないと生きていけないと、腰砕けの精神で挑んだ結果がこれなのだ。ぽんち就労、ぽんち社会復帰、ひきこもりはこじれるばかりだ。

 世の中お金じゃない、働くなくても生きていける、村々を托鉢して回ればいい。否、村々なんか回らなくても、自分の家の冷蔵庫を開ければ食べ物は余っている。食べきれずに賞味期限を過ぎて行く物が多すぎる。そもそも食べ過ぎている。運動しないと太るくらい食べ過ぎている。芋が二つもあれば一日の食料としては十分なはずだ。

 今は職業訓練と称して、ワードやエクセルを勉強させるという、とんちんかんなことをやっている。そんなことしても、その人働けませんよ、すぐ辞めますよ。訓練するなら断食をしたほうがましだ。稼ぐ練習よりも、貧しい暮らしに耐える修行のほうがひきこもりには大切。貧しい生活っていうのが、実は人間にとって一番の職業訓練なんだ。Photo

 

コメント

  1. 大演説に対する、ひきこもり大コメント、ありがとう。
    このエネルギーを仕事に向けられないかと、思う人もいるでしょう。
    でも、それだけは無理。この人達にそれは無理なんや。

  2. ひきこもりブッダはすべてお見通しなんですね。
    僕も去年、ワード・エクセル講座を受講しました。その頃、某就職支援施設に通っていたんですが、そこのカウンセラーに勧められ、電車に乗って片道1時間以上もかけて会場に行き、10時から4時まで各3日間お勉強しました。
    講師の方も、一緒に受講した人たちも、皆、優しくて親切な方ばかりでした。僕が人見知りなために、話が弾まず、隣の席の人はつまんなかったろうなと申し訳なく思いましたが、僕自身は結構楽しかったです。本当かな。
    受講生仲間のおばちゃんからは海外留学中の娘さんの自慢話を聞かされました。これが親心というものなんだろうなと思いながら、相手が気持ち良く話し続けられるように注意しました。僕の身の上話は勿論しません。
    初日の授業が始まる前に自己紹介をさせられました。冷や汗をかきながら、適当な嘘で切り抜けました。皆、一期一会の人ばかりなのだから、そんなに緊張しなくても良かったんだと、後で反省しました。
    受講生はほとんど女の人ばかりでした。以前も事務の仕事をしていて、独学でエクセルやワードを使えるようになったけど、プロの授業を受けて技術に磨きをかけたいというような上級者が大半です。娘の自慢話をしてくれたおばちゃんと僕だけがど素人でした。
    二十代後半の男の子が気さくに話しかけてくれました。彼も正社員の仕事をやめ、今は失業手当を貰っているという超エリートでした。社会保険など勿論ない最低賃金のバイト経験しかなく、親の年金で実家暮らしをしているとは、言えませんでした。
    エクセルやワードをちょっと勉強したぐらいで就職できるとは最初から思ってないので空しくなったりはしませんでした。いい気分転換になったと思いました。
    某就職支援施設に通っていたのは、棚ぼた式に仕事が見つからないかと期待したからです。終始、当の本人よりカウンセラーの方がはるかに僕の就職活動に熱心だという倒錯した状況が続きました。三ヶ月通いましたが、しまいにめんどくさくなってやめました。
    僕が高校生の頃、世間はバブル景気でした。同じ頃、過労死が社会問題となり、僕は会社というものが心底怖くなりました。就職したら会社に殺されると思いました。今もその思いは変わりません。
    働きたくなければどうぞご勝手に。ただし、無一文になったら文句を言わずさっさと死んでくださいねという、資本主義の神様の声が聞こえてきます。ふざけるんじゃねえ。そのときは、ひきこもり世界革命を起こします。乞うご期待。
    イモ2個修行はかなり厳しいですね。

  3. 一般に人が「貧しい生活」といっている生活とは、この現代日本のモノが溢れ返っている生活がノーマルになってしまっているから貧しいんですよね。生まれてからずっとモノがないところで質素に生きている人たちは、自分の生活を貧しいなんて感じていないと思います。
    沢山働いて、沢山モノを生産して、沢山モノを消費して、経済を更に発展させようと言います。他の先進国に遅れを取るまいと、みんな「日本の発展」に躍起になっています。……これが、自分には全く理解出来ないんですよね。消費者に浪費をそそのかしておきながら、一方でエコだ、自然保護だって騒いでいます。こんな馬鹿馬鹿しいことはないと思うのですが……。
    人がモノをつくるということ自体、何か他の生命を犠牲にしていると、世の「一人前社会人」を自負する人たちは解っているんでしょうかね。

  4. この世の中は、やっぱり訓練校だと思います。
    同じ状況の中で、どのように生きるのか個々の判断に委ねられると思うのですが、ただ違うのは、個人、個人の勉強するレベルが同じ訓練校の中でも違うと思うのです。
    この世は、ある箱庭の中に町が作られていて、
    いろいろな国や、状況の違いなどをバーチャルで動かしているのだろうと考えることがあります。
    ひとつの箱庭の中の世界に作られた町でさまざまなことが起こり、日々どのように生活するかをそれぞれのひとが問われて生きているような感じかもしれません。
    この日々生活することで発生するバーチャル体験(人生体験)は、同じ場所で住んでいてもひとそれぞれ違うのかもしれません。
    それは、勉強する内容の違いで、やはり難易度があるのでしょう。
    そんなに人生のことを考えなくてもすいすい生きていけるひとと、一生懸命人生のことを考えていてもつまづいてしまうことが多いひとと同じと言うのはちょっと違うような気がします。
    この話をもし、普通の感覚のひと(あえてこう表現します)にすると、楽観的性格、悲観的性格の違いとかプラス思考、マイナス思考、もしくは、外交的性格、内向的性格とも
    表現されてしまうと思います。
    しかし、同じ箱庭の世界の中でなんでこれだけ違うのかと考えると、やはり上記の理由では表現できない何かがある気がします。
    と言うことは、ひとつのレベルの線引きとして常識という境界線が存在し、それに近い状態で生活できることは、人生が成功した!人生勝ち組!なんていうことでしょう。
    この境界線に近ければ近いほど、人生はひとからいろいろと非難されず、当然悩みもなんだかわからない簡単なものだったり(新聞などの人生相談の内容なんかそうかもしれません)、羨望の眼差しで見られるということでしょう。
    でも、本当は、この境界線から離れて行くことが実は、難易度の高い人生と思われます。
    ひとから非難されていじめられて、「ちじこまって」(今この部分を誤って変換したら、「知事困って」と出てきました)、挙げ句に精神的になんとなくしんどくなって、日々ふやけそうなくらい悩みに悩む人生と言う感じに過ごさなければならないと思われるからです。
    つまり、ひきこもりを始め、常識から離れて生きられている方は、生きにくいと感じている方もふくめ、本当は上級の勉強をされていると思います。
    下級だったら、悩むような難問は出てこないはずです。
    解けるはずありませんからね。。
    訓練校でワード、エクセルを勉強するならまだいいほうです。
    最近は、雇用能力開発機構(旧雇用促進事業団)の強力の訓練校を始め、ハローワーク、職業相談関連の施設では、それよりももっと大切なものを教えなさい!
    それは、履歴書!職務経歴書!面接の方法!
    です!これは確実に時間を作って教えなさい!これが社会復帰(死語になりつつありますが、再チャレンジ)の最高かつ最短の方法であると、している現実があります。
    僕も、これを強制的に受けさせられたことがありますが、さすが3回くらいになると情けなくて涙がでてきますね。
    やっぱり、○○事業団のような将来有望の方たちの人生経験や、思想や発想の中では僕は生活を進めることが困難に感じました。
    経験したことがないひとが、経験したひとにたいして、何かできるのでしょうか?
    もし、何かできると言うのであれば教えて欲しい。

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