立派だといわれている人が思っている理想の人生の肯定→ガリ勉→人生否定→ひきこもり→途方に暮れる→立派だといわれている人が思っている理想の人生を再び肯定→アルバイト→人生否定→ひきこもり→ノイローゼ→病人→新しい人生を模索→倒れたまま→長生きの予感→今からでも取り返しはつくはず→では何をするべきか
無理やりの肯定から、アルバイトなどの就労を経て、結局もとの否定に戻るという繰り返しをどれだけするか。繰り返した数だけノイローゼもひどくなる。スタートの間違いを認めて全部始めからやり直し、これを受け入れるまでのひきこもりの長い旅。
コメント
お休みの日も疲れます
むかーし、家の中で一番価値が無いのはお前だと父に言われました。いつものようにでかい声で眼をむき出して父が言う。
男に生まれれば力が親を上回って高校生くらいになれば安心できたかもね
もう関わらないで欲しいという気持ちは
学習した
精神科に行けばやたら混んでる
待合室
疲れる
で、なにをしているのだろう自分はと思う
受診をやめて
なぜか症状悪化。
独り暮らしして再生する価値も無い
独り暮らしする財力も無い
疲れましたヽ(´▽`)/
闘牛場ではすわりこんで
女の人がさしている花のにおいをかいでばかりで何もしないので
結局もとの牧場に戻され、
花のにおいをかぎながら今でも幸せにしている、というお話ですな。
失敗の味、これを知る人だけが優しくなれる。
絶望して暗くなっていてはキリがないというものです。
僕はこの繰り返しが軽く快感になってきました。
目標に撃沈して絶望に打ちひしがれているときこのブログの門をたたくわけです。「ああ、俺はこれでいいんだ」
失敗の後の一杯は格別ですね。
『はなのすきなうし』という本を古本屋で見つけました。
はなの匂いを嗅ぐのが大好きなおとなしいうしがひょんなことから闘牛場につれていいかれて・・と言う話ですが
全部読んだあとに遠い夏の日を思い出しました