ひきこもりシェイクスピア

 悲劇より喜劇のほうが哀しい。人生のどん底にいると、しばしばユーモラスな行動をとってしまうものです。自分にも思い当たる節があります。高校中退し、大学にも進学できず死ぬことばかり考えていたはずなのに、カセットテープに俺DJの妄想深夜ラジオ放送を吹き込んで、一人で聞いて楽しんでいたりしました。

 勉強しなきゃいけなかったのに、働かなきゃいけないのに、その追い詰められた結果、太宰治のような小説家になろうと考え、人間合格というタイトルの小説を書き文芸誌の新人賞に応募しました。即落選です。

 精神的な苦しみが限界を超えると、何も見えない何も聞えない、悪い意味での悟りの境地に入ってしまう。現在の自分も、こんなブログを書いていられるような状況ではないはずです。しかし何という健やかな気持ちでしょう。長い間の孤独や恐怖が、台風の嵐のように、現実を、客観的な今の自分を、どこか遠くの彼方へ吹き飛ばしてしまったのでしょうか。

 人間がだめになると夢は大きくなる。今日の大赤字よりも、3年後の黒字予想ばかりを語る借金だらけの社長のように。辛い状況でこそユーモアが生まれる。ユーモアとは哀しいものなのです。アフィリエイトで儲かったと書きまくるブログを見かけます。働かなければ、お金を稼がなければ、餓死してしまうという恐怖に圧倒され、こんな分かりやすいデタラメに引っかかるのです。

 絶望と恐怖。これをうまく取り除けばいいのです。そのための安心ひきこもりライフです。働けば今ある絶望と恐怖が取り除かれるのでしょうか。いったいいくらお金があればいいのでしょうか。働いてお金を稼ぐことで、希望と安心が得られると、本気で思っている人だけ働けばいい。労働は悲劇で、ひきこもりは喜劇なのだと思います。Shakespeare


この記事へのコメント

  1. 幸福な時間があってこそ、悲劇が成り立つわけです。
    悲劇に登場できるだけでも、幸せな人なのかもしれませんね。
    お布施よりも、托鉢がお薦めですね。
    托鉢があっても、いいと思うんですけど。
    働いてお金を稼いでも、まだ保険だの
    資産運用だのしているのですから、
    真の安心というのは遥か彼方なんでしょうなあ。

  2. 勝山さんの安心ひきこもり講座は僕にとって般若心経や聖書のようなものです。読んでいると心が洗われます。
    「人生のどん底にいるとしばしばユーモラスな行動をとってしまう」
    名言です。自分のやってることってユーモラスだな、と自分を客観的に見る心の余裕が大切ですよね。僕の場合、自分のやってることが滑稽だということにはうすうす気づいても、微笑ましいという位の余裕をもって自分を見つめることができないので、精神的にキビシクなりがちです。
    「人間がだめになると夢が大きくなる」
    ひきこもり世界革命を起こしてやる、といったようなビッグな妄想で脳内を満タンにしておかないと絶望と恐怖で気が狂いそうになります。
    ただ、脳内が100%妄想だけだとヤバイ事件を起こしかねないので、5%位は一般常識をつめておきます。
    働いてお金を稼ぐことで希望と安心が得られると本気で思っている人が圧倒的多数ですし、圧倒的多数の大人が子どもにそう教えるわけですから、このままでは未来永劫お金がすべてという価値観が世界を支配し続けることになります。「働かざるもの食うべからず」教の信者と非信者の数がせめて半々位になれば良いのですが。
    今日こそはコメントを短くするぞ、と思いつつ書き出すと脳が躁状態になってしまい、文章が止まらなくなります。僕って本当ウザイですね。申し訳ありません。

  3. 僕は今はフリーターですが仕事が無くなったら、お釈迦様のように出家しようかな、と思っています。
    うちの親、金無いんで・・・。
    それらしい格好して、念仏なりお題目を上げてお布施を頂いたら生きていけるかなあ、なんて甘い甘い事考えています。

  4. 喜劇は悲劇より哀しい・・・
    まさにそうだと思います。
    実は、悲劇は哀しみを表現しつつも、その先には実は真の幸せが描かれており、喜劇は喜び、楽しみを強調し、裏にある哀しみがかくされているようです。
    実人生でも、時々、哀しみの過去を背負っている人が様々な表現で、多くの人に感動をもたらし、結果、幸せを与えている事になります。
    一方、喜び多くの人生を過ごされている方、いい学校、いい会社、結婚、出世・・・という階段を一段ずつあがって、これはもう幸せを絵に描いたような感じだという状態・・・でも、裏では、もしかするといい学校を卒業し、いい会社、出世だけをよしとする人生を進む事だけが意味のある人生と疑問をもたずに進むと、様々なリスクが・・・
    いい学校、いい会社、出世と言う事は、その人の周りには同じようなタイプの人がそろっていると言う事が言えるでしょう。
    すると、卑劣な足の引っ張り合い、出世をしたからといっても、更に責任ある立場・・・ポストを守るために日々生活を進めるとだんだん、自分が思い描いていた本来の幸せから遠ざかっていた・・・そのような人生経験とそこから作り出された思想を自分の子供にも推し進める、子供は疑問を持つ事があったら、親に反発・・・挙句の果てに一生懸命、絵に描いたような幸せをつかもうとがんばってきたところ、気がついたら自分自身に病魔の手が近づいてきた・・・ということは、結構あるのではないでしょうか。
    僕も病院に入院した事があるのですが、確かにこのような方がいらっしゃいました。
    悲劇は必ずしも、哀しみではなく、喜劇は必ずしも、楽しみではない・・・

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