さまよえるヒキコモリ 社会参加と社会復帰

 社会参加とは、他人と接すること。社会復帰とは、他人に認めてもらうこと。当然社会復帰のほうがハードルが高い。じゃあ、社会復帰のほうが価値があるのか、社会参加は予備・準備段階なのか。

 金にならない、生活できない思い込まされて、社会参加を中断して、社会復帰を目指すのが、違うと思う。自分にとって価値のない、やりがいのない仕事について、給料をもらう生活が本当に社会復帰なのだろうか。

 ひきこもりが死に至る病だと信じ、あれこれと脱出するべく、勤労思想に殉じ、敗れ去って行った人々の屍の山。脱ひきこもりを賭けてやった、あれやこれによってこそ、生命は痛めつけられる。

 就労活動と無断欠勤。社会復帰と社会エスケイプを繰り返すことほど、不幸なことはない。社会参加より社会復帰のほうが価値がある、つまり会社で働くことだけが、社会に足を踏み出すことだという考えが間違っている。

 ひきこもりの社会復帰を法律で禁止したらいいんじゃないか。どうせ辞めるんでしょ、そのアルバイト。セミのような一夏の短い社会復帰よりも、じっくり長期熟成の社会参加のほうが結果的に、人との関わりを大きくするはずだ。自分の価値観のほう優先するべきだ。お金を稼ぐための社会復帰ばかり、スポットライトが当たりすぎている。それはいかんの「い」。Jbiz055_3

コメント

  1. ひきこもりらしさ全開とは、思いやり優しさ全開ということです。
    人間として正しいと思います。
    職務経歴書ですか、想像もつきません。面白いことを書けばいいのでしょうか。
    誰も言ってくれないから、自分で考えて言うしかないのです。その為の読書でもあるのです。
    社会参加をスキップしていきなり社会復帰、匹夫の勇とはこのことでしょう。
    あと社会参加の前に、安心ひきこもりライフがなくてはなりません。

  2. 自戒の意味を込めて書かせてもらいます。
    ひきこもり中年男子になると、社会参加をスキップしていきなり社会復帰を試みようとしがちになります。
    ひきこもりのタイム・リミットに対する恐怖です。
    親が死んだら自分は餓死するのではないかという恐怖から逃れることは容易ではありません。
    社会参加を長期熟成することによって、親密な人間関係を築く力を身につけてからでないと、就職活動をしたところで、あわよくば採用されたとしても、つらくなってすぐに辞めてしまうことはわかってるんですけどね。
    三十後半になっても自分は人生のスタートラインに立ったままという思いに胸をかきむしられます。
    バイトをクビになってから二週間経ちました。
    労働というものは麻薬のようなものです。
    働いているときはしょっちゅう辞めたいと思ってたのに、いざ専業ひきこもりになると禁断症状が出てきて無性に働きたくなります。
    けれど、新聞の折込求人広告を読んだり、意を決してハローワークへいったりしてもですね。
    どの会社もおでん工場に見えるんです。
    野球に例えるなら、藤川の投げる剛速球を素人に打てと命じるようなものです。
    僕にとっては、どの仕事も150キロを超えてます。
    読書したり、瞑想したり、散歩したりといった安心ひきこもりライフを満喫したいのですが、なかなかうまくいきません。

  3. たいていの引きこもっている人やそれに近い状況にある人は、自分の周りにこういうことを言ってくれる人が皆無なんでしょうね。……やっぱり自分の置かれている環境から受ける影響は半端じゃなく大きいですよね(その為に現実逃避の手段として自分は読書なわけですが……)。
    社会に蔓延る偏りすぎた思考パターンから抜け出せた、そのことだけでも良しとしましょうか?

  4. 社会参加絶対励行!は、一体、いつ頃からどなたが作られたものなのでしょうか。
    実は、日々僕もこんな事を考えて生活していました。
    一説によると、戦争時代から(その前はどうだったか??)個人の自由発想、行動をやめさせる傾向はあったようです。
    やはり、国一丸となって戦え!と言うものだろうと思います。
    しかし、戦争に負け、そのまま今度は国を復興、発展させなければならなくなり、やはり戦争の軍隊のような集団思考、行動を余儀なくされたのではないかと思われます。
    この集団思考、行動理論には、僕は結構泣かされました。
    色々と、この思想行動からはずれる者をいかん!とする様々な妨害、集団的圧力を受ける事になったのです。
    逆に、じゃあ、そんなに集団的思想、行動を強要するのであれば、一体それはどうしてなのか理由を聞いてみたいです。
    風紀が乱れるとか、治安が悪化する、社会が~などとの意見が出るかもしれませんが、残念ながらどれも、これぞ!といった意見は出そうも無いのではないかと考えてしまいます。
    社会復帰、社会参加をさせる為、特に会社に入るときに現在は、履歴書だけじゃ面接が受けられないそうです。
    なんと!それを更に自分自身の社会生活を詳しく、しかも、自分自身が今までの社会生活の中で何を考え、行動してきたか、更にこれからどうするべきなのかなどの、ずばり書いてしまうと、あなたはどのような社会経験から、わが社に利益をどのようにもたらしてくれるんですかぁ???っという内容の書類職務経歴書を添付郵送して、判断を仰ぐそうです。
    判断が通っても、会社には入れない。
    判断が通ったら、面接ができるという事だけです。
    面接の日取りが決められただけです。
    その後は更に・・・。
    これを、公共職業安定所が進めている、最高の社会復帰完全マニュアルに含まれる、職務経歴書の添付だそうです。
    色々と本当の意味の人生経験を送られていない方に、勝手に方法なんて作られるのはたまりませんが、この程度の完全社会復帰方法、マニュアルなんて何にも役に立ちません。
    会社に入って、定年まで勤め上げるなんて、今の時代、その通りに思想があっていてもほぼ無理だと思います。
    色々な理由が考えられると思いますが、入った会社が無くなってしまう、その会社を辞めてしまう。
    やはり、会社だけが生きる道なんかじゃなくて、学生時代または、人生の一定期間は働かなくても食べていける、その人が自分で自分のペースで自分のやりたい事をするという、個人に対して保障された時間をすべての人に与えるべきです。
    そうすれば、色々とあせって生きてきた人も、その時期を設定した期間に、さなぎになって一人になって考え、行動する。
    悶々と自問自答しても、ひきこもってもよい。
    その時期を終了した時、それぞれの個々の生き方に沿った生活を進めていければ、切羽詰った様々な事件や、問題なんて結構起こらなかったりするんじゃないかなと思うんですが・・・。

  5. 初めてコメント致します。働いていればまともだという話を聞くと、確かに不安になりますね。
    ところで、僕は三日前、勝山さんにお会いしてますよ。赤いTシャツを着ていた者です。この時はひきこもりらしさ全開で、全く発言出来ませんでした。これからもこの調子で(!?)頑張りたいと思います(?!)。

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