月刊 瀬戸内寂聴 第5号

 the寂聴第5号が発売中です。ただ書店でのこの雑誌に対する扱いが変わりました、平積みになっていないのです。総合誌コーナーにひっそり二冊ほどあるだけ、これでは私のような愛のある読者しか見つけられないのではないでしょうか。まずは表紙を見てください。

the寂聴

 ばーん、寂聴先生お遍路の旅に出発です。前回以上にオーソドックスな写真で平凡、突っ込みどころはありません。小さい写真では分かりませんが、実際に本を手にとって見ると寂聴先生の顔が疲れ切っているのが良く分かります。もう86歳です、かりに平均年齢まで生きるとしても、後二年後にⅩデーが訪れる予定です。ああ、なんと悲しいことでしょう。この生臭さともあと二年でお別れとは。好き勝手に生きてストレスのない生活を送ってきた寂聴先生なら長生きするのではと思う人もいるかもしれませんが、暴飲暴食ビーフ大好きでは内臓が持ちません。2011年に瀬戸内寂聴Ⅹデーが来ます。

 面白味のない表紙をじっくり眺めていると、何か腑に落ちない、きな臭いものを感じるのです。何かあるな、頭のてかり具合も女性とは思えないほどテッカリしていて吸盤をつけたら、ちょっとのことでは外れないような感じです。おかしいぞ…、はじめて雑誌の中身をじっくり読んで見ました。特集・お遍路(前編)です。歩けば40日はかかるという苦行は、断食をあっさりとリタイヤした前科のある寂聴先生には無理なのではないか、高齢だし。前編と言うからには四国八十八カ所の半分の40箇所くらいのお寺を廻ったはずですが、読んでびっくりです。

 瀬戸内寂聴先生はまだ一歩たりとも歩いてていなかった。雑誌にはこう書いてあります「次号、お遍路に出発!」と。こんな前編があっていいのでしょうか。これが目玉の特集ですよ。序章というのもおこがましい、表紙の写真はなんだったのだろう、雑木林で立っていただけということになります。こんな寂聴先生に脱帽です。次号は最終号になります。寂聴先生は絶対歩かない、タクシーでの悠々お遍路になると予言しておきましょう。


この記事へのコメント

  1. お遍路にいきます。
    お遍路に行く理由は心を軽くするためです。生きていることは、時には心が重くなることが多く知らず知らず世間垢のようなものが重層的に沈殿しています。この世間垢はすべてが悪いわけではなく、良いことにも作用します。しかし、時には洗い落とすことも必要であり、その洗い落す作業をする行為そのものがお遍路であると考えます。生きていることに理由や価値があるわけではなく、そのあるわけでない事柄を再認識する行為でもあると考えます。白装束に身をつつみ、最小限に近い生活道具を持って、肩書きもなくし、ただの個人に戻り
    無心で歩くことによって得られます。お遍路をするなら、そんな精神が必要だと考えます。

  2. 寂聴ブームは終わってしまったのでしょうか。
    私としては寂聴先生に無関心でいられるその気持ちが分からない。
    何かあくどい奇策を用意しているのでしょう。
    最終号が今から待ち遠しいです。
    愛することが大事。心奪われるばかりです。
    でもそれもあと二年、涙が止まりません。
    お遍路しない、お遍路特集。
    断食しない、断食と同じで手口ですな。

  3. あまりにシュールですね。
    何と金と手間のかかった壮大なギャグなのでしょうか。

  4. 今回はいつにも増して、勝山さんの寂聴への「愛」がひとしお伝わって来ました。
    はっきり言って、おもしろすぎます(笑

  5. ご高齢なので、無理すると
    ポックリ逝ってしまうと思います。
    でも、寂聴先生の事だから、
    何か奇策があるのでしょうね。

  6. 私たちは『寂聴先生』に対して敏感になっているのかも知れませんね。
    先日、ふとした事から
    「【あしたの虹】ぱーぷる」やねと会話をしたら。
    「何それ?」とあっさり言われてしまいました。
    私が思っているよりも遥かに寂聴ブームが終わっていてビックリしました。

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