私は瀬戸内寂聴を愛しているのか。愛しているからこそ、無関心でいられないのか、そう思うと何か悔しい、無視こそが瀬戸内寂聴に対する正しい態度なのに。
生臭尼のことなど忘れて過ごしていましたが、不覚にも数ある雑誌の中から月刊寂聴第2号を発見してしまいました。ちなみに次号からは隔月の発売になり、全6巻で完結する、そんな情報まで本屋で仕入れてしまいました。愛の力でしょうな。まあ、表紙をご覧ください。
ばーん、いかがなものでしょうか。この写真の前を素通りできる人の気持ちが分からない。度肝抜かれた、尻子玉も抜かれた。緑色の変なパジャマを着たアルツハイマーのお婆ちゃんではありません、小説家の田辺聖子氏です。雑誌の中身はどうでもいい、表紙の写真だけでお腹いっぱいです。源氏物語より、アダムスファミリーについて語るほうが似合う。
田辺聖子ほどの人徳者が、世間の垢にまみれた俗物尼に手を貸すとは残念です。写真を見る限り、寂聴に完全支配されていますね。毒牙の餌食になった、赤ん坊にしか見えない。ああ、もうこんなことを言うのはよそう。次号は必ず無視します。
コメント
まさか田辺聖子とタッグを組んで襲い掛かってくるとは想定外でした。
法話集を聴かない祖母に幸あれい。
好きの反対は嫌いではなく、無関心であるとシーマンも言っております。
瀬戸内寂聴をキャッチしてしまう自分に恥じ入るばかりです。
瀬戸内寂聴を、ただ好きなのではない
愛しているのではないか、
そう思うと死にたくなりますなあ。
勝山さんは寂聴さんが好きですねw
ひしひしと伝わってきます。
その人物を好きであっても嫌いであっても興味がなければ普通は素通りしてしまうものです。
勝山さんの心のアンテナが『瀬戸内寂聴』を欲しているのだと思います
欲しているからこそ巡り合うのです
これからもその巡りあわせをかみ締めてください
二度見確実なインパクト!真似の出来ないセンスですね。祖母が寂聴氏の法話集を持っているのですが、まったく聴いてないようです。