和歌山裸族

 田舎を舐めているというか、田舎にいくと開放感からか、服装が普段着以下になります。。横浜にいる時は、頭にタオルを巻かないし、首にタオルをまいて出歩くこともない。変だからさ。タオルを巻かずに帽子をかぶるし、ひきこもり男子の油汗はハンカチタオルでふく。田舎に滞在中だけ、服装の基準が極端にゆるんでしまう。基本ジャージ&タオルだ。

 これは良くないな、と感じる機会があった。和歌山の九重というところに、廃校になった小学校を利用した、ようは共育学舎に近いシステムでやっている、「山の学校」というのがあって、そこにbookcafe kujuというおしゃれなカフェがある。そこに今回初めて行ったのですが、その時の私の服装というのが、「短パン・ビーチサンダル・首タオル」というものでした。いかがなものでしょうか。お店は、やはり女性にも来て欲しいということでしょう、大変におしゃれでかっこいいところです。でも客である私の服装は、江ノ島の海の家に遊びに来たおじさんをも下回ります。

 田舎だからといって、身なりを整えることをおろそかにしてよいのでしょうか、それはいけない、と反省していた私の目の前に、あのお方が現れたのです。「上半身裸・短パン・麦わら帽子」というファッションのおじさんです。

 忘れもしません、はっきりと覚えております。スラム小屋の基礎をつくるために、割栗石になるような細長い石を河原で探していた時のことです。上半身裸・短パン・麦わら帽子の50歳くらいのおじさんが、両手を腰にあて川を睨みつけて、スラムの端のほうに立っている。川で泳ぐわけではない。しばらく見ていると、魚をとる仕掛けのようなものを、川に置いていました。それが終わるとまた上半身裸で腰に手を当て、じっと川を睨んでおるのです。

 川の中なら上半身裸でもいいでしょう、家の中なら上半身裸でもいいでしょう、でもさ、家から川に来るまで道中、上半身裸じゃだめでしょ。田舎でも、そんなのだめでしょ。Tシャツくらい着るでしょ。田舎の夏の服装って、ここまで自由なのか。だとしたら私のカフェにおける服装も、たいして失礼に当たらなと、思い直した。

 石を拾いながらそのおじさんを観察していたのですが、ジロジロ見られていることに気づいたのでしょう、川ではなく私の方に、ぐいと睨みをきかせてきました。かかわると尋常なことではすまないと察し、さっとその場から距離をとりました。

 あとから聞くと、その上半身裸おじさんは、一緒にスラム小屋づくりに参加していたK君に話しかけるというか、石拾いについて説法なされたとのこと。「何をしているんだ」「もっと面の広い石を拾わないと石垣は作れないぞ」「俺は1日半で石垣を作った」などと石拾いについての説法をなさっていたとのことです。その唯我独尊ぶりは、どことなく、ひきこもり名人を思わせ、似ている、同じ種類の人間ではないかと感じさせるものでした。

 実は和歌山において、私は村の人と交流をしていません。共育学舎という防波堤の中でぬくぬくと小屋作りをしています。もちろん道で人と出会えば挨拶はします、でも会話をするようなことはありません。そんな無菌室状態で暮らしていた私を試すかのように、上半身裸・短パン・麦わら帽子・石について説法するおじさんが、私の目の前に登場したのです。

 スラムのまわりに堀をめぐらし、城壁を築き上げたい、そんな衝動にかられますのう。しかし、こうなった以上は覚悟をきめて、私も上半身裸でひきこもりについて延々と説法をしながら、村々を練り歩けるくらい、服装のレベルを落として田舎暮らしにとけこむ所存です。がんばります。

コメント

  1. これだけ日本も暑くなれば、
    上半身裸のほうが、スーツ着てエアコン生活よりも
    ずっと人間らしい気がします。

  2. そういえば、のび太がしずかちゃんの風呂を覗いたときドラえもんの道具の力で、裸が本来人間の自然な姿なんだとかなんとか言いくるめて・・・という話がありましたね。

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