アルバイトの面接に落とされるたびに「ああ、もう死ぬしかない」と絶望する。ひきこもりの死は軽い。
本物の死は遠い存在で、祖父母も病院でいつのまにか死んだ。葬式の時には、綺麗に棺桶にラッピングされていて、死と向き合うこともなく、親戚と顔を会わせたくない一心で、形だけ済ませて逃げるように帰った。
親が死んだらどうするだと恫喝する、ひきこもりダディー達よ。三途の川の向こう側からの、黄泉の国からのコール&レスポンス。自分が死ぬのにどうするもないはずなのだが、死が見えていないせいだろう、永久に生きるつもりなのです。
寿命というものはランダムで、年寄りがだけが死に、若い人が生きるというのものではない。若くて煙草もお酒もやらない、運動もしている、それでも死ぬ人は死ぬ。生命は奥深いですなあ。
コメント
ひきこもりにとって、一番の恐怖がやっぱり死よりも親が居なくなったら・・・のほうが強いと感じます。
生計が立てられるかどうかということももちろんですが、親類とのかかわりをどう持つか・・・、生活レベルのあまりに違いすぎるいとこなどとの顔合わせ空逃れるにはどうしたらよいか・・・と考えるだけでぞっとします。
同年代のいとこたちは、もう人の親ですし、自分はまだ親の子ですし、保護者同伴であるわけです。
いやぁ、これは違いすぎる!
このような生活状況の違いが、世の中から阻害された状況から、極度な孤独感を感じ、死神がささやいてくるわけなんです。
ひそひそと・・・。
大鎌は武器じゃなくて、雑草などを刈る農機具ですよね。
植物にも命があります、命を刈り取る神様という意味合いがあるのではないでしょうか。
イメージは怖いですが、農機具をもっているのですから、
優しいお百姓さんなのではと予想しています。
今はアルバイトの面接はしていません、
古い思い出です。当時は景気は良かったですなあ。
死から目をそらし、現実からも目をそらす、
どこを見つめたらいいのでしょうか、
そんな時に役に立つスキルを探しております。
おくりびと話題になっていますね。
最近、映画のヤッターマンを見に行きました。
まあまあの面白さですよ。
いつ死んでもいいと思いながら、
大きな病気もせず、生きている。最近太ってきた。
それが、ひきこもりの業というものでしょう。
命を「稼いで」まで生きたいと思うほど、この世界にも今の自分にも執着はないですね。お酒は飲むし運動はしてないし仕事にも行かないし、いつ死んでもいいと思っているのですが、この通りまだ生かされています。
善人ほど長生きできないと言われていますが、納得です。
親が先に死ぬとは万全に健康に気を配っているから大丈夫とは限りませんね。
特に今の世の中、何によって命が取られるかわからない。
>人の命は葬式の時には、綺麗に棺桶にラッピングされていて。
ここで映画「おくりびと」のモックンを想像してしまいました。
死ぬ時の事なんて考えてもわかんないし、わかんないことは考えなくてもいいので死については死ぬ時考えればいいですよね。
ひきこもりスキルの一つ「目をそらす」は汎用性が高いです。
現在は、アルバイト面接に励んでらっしゃるんでしょうか?
落ちるというのは、やはり、不況のせいなんでしょうか。厳しい世の中です。
それは、死は怖いものと言う表現に、
上手く合うからではないでしょうか?
なんか…すごく駄目なヒトの質問みたいでアレなんですが…。
死神の得物はどーしていつも大鎌なんでしょうか?
それでまた、妙に似合っているように思えるのは何故なんでしょうか?