経済ギブ・ミー成長 ひきこもり 2008.11.06 戦争に負け、焼け野原の時代には欲しいものがたくさんあった、みんなギブ・ミーだった。欲しいものを作り、欲しいものを売る。だから、ばんばん好回転していく。進駐軍仕込みのジャパニーズニグロの給料は年々上がり、役職地位も年功序列で上がっていく。 今は、無駄なものを作って、無駄なものを売る。そのお金の一部を給料として貰う。このことに疑問を感じない人は幸せだ。
コメント
どうもです。
まさにまったく、今回の記事の後半部分に、
同感です。
「意味」を感じられない。
「やる気がしない」
「やったって、またうつになるだけ」
という予測が完全に立つ場合、
いわゆる商品、ものづくりの企業就労など、
全くやる気が起こるわけがありません。
生きていくには、最低限必要な屋根や、すこしの米、ものだけで生きていけることを知ってしまった今となっては…。
そんな自分は、なにを、シアワセと思うか、。
難しいけれど、考えて、答えが出たら、
(夢のまた夢ですが)そう思います。
不足しているものを、おぎなうために
何かをする、ということがないんじゃないかなあ。
本当に必要なものが、今現在、世の中にどれだけあるのか・・・そんな事をふと考えたりする事があります。
お金を含め、それで購入できる物品、または人間自身も、やがては酸化し、風化していく存在です。
不必要なものを多くつくり、購買意欲を駆り立て、それを手に入れるために人生において、不必要なまたは、自分自身にとって、不自然な低賃金長時間労働をしなければならないという、暗黙の脅迫なのかもしれません。
就労を初め、労働をする事が絶対的な人間としての存在意義だ!とされる時代は、やはり戦争に負け、高度経済成長期につくられたものなのでしょうか。
でも、知らないうちにこの不足部分が、飽和してしまった。
それに今も気づかない。
というのは、今までの自分の人生に疑問をもち、孤独を味わい、葛藤し・・・のプロセスをしてこられなかった方の思想なのかもしれません。
現在の世の中に疑問をもつことは、最大のマイナス思考だ!と言う声が聞こえてきそうです。
それは、もしかすると何とか教の教祖が、洗脳するために用いたマントラと同じような感じなのかもしれません。