梅の盆栽に花がついた。ひとつ、ふたつ、みっつと咲いてゆく。春の訪れを最初に知らせてくれるのが梅の花だ。ただ私のベランダの梅はみっつほど花をさかせて、終了という泣きたくなるような有り様でした。肥料が足りなかったのでしょう。

 ひきこもり中年男子の人生にやり直しはきかないが、植物は土がある限り何度でもやり直しができる。また来年、こんどは肥料をたくさんあげよう。

梅イメージ


この記事へのコメント

  1. >命ある限り何度でもやり直せる
    私も自分の人生を棚に上げて、どういう訳かそう思っています。
    本来人は何度でも、朝が来る度に、何なら一瞬ごとにでも新しく生まれ変わることが出来るのではないかと思っています。
    みっつでも花は咲いたんですよね。たとえ肥料をやり続けても、花の咲かない人生かもしれない、それでもかまわないという覚悟が今の私には必要なようです。

  2. 全部、最初からやりなおするんだという
    覚悟があれば、ひきこもり中年男子と言えども
    十分修正は可能ですな。
    命ある限り何度でもやり直せる。

  3. ひきこもり人生の「ふ」とした瞬間に、軌道修正できないなと実感する事があります。
    それは、自分の人生の過去の経験に対して「ふ(不)」とした瞬間であり、もし正とする瞬間が感じられる状況になれば、「軌道修正」はできずとも、一旦自分の世の中の様々な呪縛からはずれるリセット状態になれれば、「起動修正」は可能かもしれません。
    ただ、今の世の中、20世紀中に何となく方向を集団で間違えてしまった事により、人生の中での重要な体験から得られる悟りを持つことを忘れ、集団思想、集団行動をよしとする考えが広まってしまいました。
    結果、自分だけ利益などが得られればよいなどという、意味不明な競争をすることになり、一人勝ちなどという、理論的にも、現実的にも絶対的に不可能な考えをマトモに信じている不思議な人たちが多くいらっしゃっているようにも感じます。
    これからの世の中は、だんだんこの集団を力とする方向性のまずさがクローズアップされ、独自の感性と思想を持つ人が必要とされる時代が必ず来るでしょう。
    今の状況をそのまま続行する選択もあるかもしれませんが、ここまで目に見える状態でおかしくなっているのであれば、今までとはまったく別の思想を持つ人たちの絶対数が少数のため、重宝されるかもしれません。
    今の世の中の考えは、地球は丸くない!という理論が信じられていた時代と同じなのではないでしょうか。

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