資源としての優しさ

 相手のことを真剣に考え、厳しく叱ってくれる人は世の中に余っています。学校の先生といい、職場の上司といい、親もそう、厳しい人だらけです。

 優しい人が不足しています。そもそも優しさというのは1日に2時間しか発揮できません。しかも一度優しさを使い切ってしまうと、充電するのに24時間はかかります。毎日怒る人はいても、毎日優しい人というのはいないのです。

コメント

  1. 厳しくしつける。
    厳しく厳しく・・・という根性論が日本には強くあるようですが、これはよくよく考えてみると、厳しくしていると言うのは言い訳で、教育などをしていて、自分(指導者)の思い通りにならない事に腹を立てているだけの事だと思います。
    厳しいの言葉の裏側には、短気(すぐにキレる)、自我が保てないとう状態をカモフラージュしているに過ぎないと思います。
    人一人を正しく(本来の意味で)導くには、それ相当の覚悟と、理性、忍耐力と、精神力がなければなりたたないのではないでしょうか。
    スポーツの世界で、厳しいのが当たり前と言うのは、体力が有り余っているので、当るところが無いから下級生、弟子たちに暴力をふるったりしていることが、たびたび問題になるのでしょう。
    厳しさがポリシーと言っている人に限って、自分に甘く、他人から厳しくされるとすぐに逆恨みや、逆切れという行動を起こすのかもしれません・・・。

  2. 子供を甘やかすのは、大人の義務です。
    大人としての成熟度が試されているのです。
    甥っ子と遊んだ後は心身ともに疲れ切ってしまいます。

  3. 「甘やかす」
    なんて甘美な響きでしょう
    誰にでも一人は「とにかく甘やかす」人が必要なんだなー特に子ども時代には、としみじみ思います
    私の場合は亡き父がそんな存在でした
    ただ、優しい瞳をしてくれるだけで生きた心地がしたものです[E:catface]

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