5ヶ月ぶりにJRの電車に乗りました。けっこうな数の民衆が、マスクをし、座席にすわってスマホをしております。民衆は自粛なんてしていないのですかな。
ながらく民衆から遠ざかっていたので、車内では圧迫感を感じました。少しでも民衆から距離をとろうと(無理なことですが)、出入り口のわきに立ち、自分が降りる駅までじっと耐えていたのです。
常々民衆と共に生きようと思っていながら、コロナさわぎ以降は、民衆の集う場にはいっさい行かずにいました。コロナもしばらくすれば収まるだろう、無理に外出するには及ばない、そう考えて、6畳間に寝そべって天井を眺めながら自粛を満喫しておったのです。
でもそれも私にひきこもりの才能があったからできたことです。才能のない民衆たちは、自粛生活に嫌気がさし、わらわらと街なかに繰り出て、ショッピングなどを楽しんでおったようですな。
街なかは閑散としているというイメージを持っていましたが間違いでした。ためしに中古レコード店をのぞいてみましたが、コロナ的には危ないとされている50歳以上の男子たちが、熱心にあれこれと、CDやレコードを吟味しておるのです。
密々にゃー。ソーシャルディスタンスも、アフターコロナもにゃい、今まで通りの密々ディスタンスです。店頭にアルコール消毒液がぽつねんとたたずんでいて、その一点が、かすかにコロナを感じさせるだけです。
コロナさわぎ以降のニューノーマル(新日常)というのを勘違いしていたようです。才能ある者の5ヶ月の自粛は、5日間くらいの実感しかないので、つい長々と、そして楽々と自粛してしまいました。民衆の感覚からはズレていたようです。これからは民衆によりそい、ひきこもりニューノーマルを再構築していこうと思います。
コメント