2009-10-05

ひきこもり

ひきこもり沼

つくづく、場というものは澱んでいなければならない、と思う。お呼びでない主が、堂々と中央に鎮座してこそ、成熟した場と言える。居場所というものには、必ず苦味があるものです。居心地がいい場所と感じるのなら、自分がその沼の主になっているということ。場の雰囲気を良くもすれば、悪くもしているのが自分ということなのだから、ひきこもり沼に沈殿する主としては心苦しい。結局、主なりの責任感と呵責により、居心地が悪くなる。  澱まさせず、流して通過させようとするなら、場にはならない。居場所は一生ものである。時間が経つと追い出されるような、カラオケボックスのようなものは、居場所の対極にあるもの。生涯居続けの場所、とい...