怠け者になりなさいの思想

 水木しげる先生の思想を誤解していました。「怠け者になりなさい」という先生の言葉を私は、がんばらなくてもいいんだよ、自分のペースで生きていけばいいんだよ、そんなありがちなメッセージのひとつと解釈していたのです。が、水木先生のエッセイを読んで、それが全然ちがうということに気付かされました、こうなのです。

「99%の人間は無能なんです。いくら努力したって始まらないです。無駄な努力というものです」 by 水木しげる

 我々しもじもの人間をバッサリと切っておるではないですか。おやおや、では水木先生自身はどうなんですか? というと「水木さんはアタマが良かったから」とおっしゃるのです。先生は我々の仲間ではなくて、アタマのいい優秀な1%だったのです。

 さらにいえば、努力しているといわれる人、努力していると思っている人も「水木先生から観るともう怠け者。ほとんどの人が」だそうです。無能なうえに、努力もしない、ぐにゃ~っと生きている、それが水木先生から見た我々99%の人間なのです。

 仮に、我々のような無能な人間が心を入れ替え、水木先生のように一生懸命努力したとしても「やっぱり成功するのは一割くらい」なのだとか…。アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の作者のイメージとは違い、典型的な成り上がり者の価値観を持っておられるのです。そして、そこからひねり出される優秀でない人への結論が、

「怠け者になりなさい。あきらめてのんびり暮らしなさい」

 という、上から目線の、悟りの境地なのです。

 社会的成功者がたどりつく、なんでもすぐにやれ、諦めずにやれ、成功するまでやれ、といった薄っぺらいうえに役に立たない成功哲学ではなくって、水木先生の結論が、やるな、諦めなさいとなるのは、きっと水木先生のルーツに南方での戦争体験があるからでしょう。

 戦争で南方の島ラバウルに行き、文字通り九死に一生を得た水木先生は、そこで原住民(水木流にいうと土人)と出会います。彼らに出会い、ほんとうの豊かな暮らしというのを知ったのです。彼らは何も持っていない、財産と呼べるものは釜ひとつ、でも森の中にはバナナがあり、焼き畑でとれる芋があり、みんなのんびりと楽しく暮らしています。水木先生はニューギニアの森の中に、楽園を発見したのです。

 戦争が終わり、日本に帰ってきてからも、水木先生の心には、しょせん「釜一つの土人の幸福には及ばない」という気持ちがあり、「彼らこそほんとうにたよれる人間なのだ」という確信があるのです。

 水木先生はいいことを言う。南方の体験を語るときだけ、いいことを言う。ちなみに土人という言い方は差別的ですが、水木先生は、大地とともに生きる人、大地を〝母なる神〟として大事にしている人という意味で原住民ではなく土人という言葉を使っています。

 話があっちこっちに行ってしまいましたが、無能説には腑に落ちないところもあるものの、全体的には心に響くものがあり、ちょっと折伏されてしまいました。うん、よし、私も怠け者になるぞ、そう決心したのです。と同時に、もうお気づきでしょうが、私はすでになっていました、随分と前から怠け者になっていました、ああ、幸せですのう。ほうとうに幸せな人生ですのう。この六畳間がパラダイスだったんですな。

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コメント

  1. やなせたかし先生も努力を語りたがらない印象があります。
    僕が成功したのは運が良かったからだと。
    ともに戦争という理不尽を経験したもの同志見えている境地があるように感じます。

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