ひきこもりがひたひたと歩み寄ってくる足音を聞いたことがありますか。平穏無事、とにかく今まで通りにしていれば問題はないはずなのに、ひきこもらせようとする何かが自分に近づいてくる音。勉強だけがすべてじゃないぞ、そんな囁き声。幻聴ではないです、心の声ですぞ。
勉強して、テストでいい点取ってさえいれば、いい学校に進学できて、いい会社にいけて、すべて上手くいく。あとは適当に遊ぶなり、自分の好きなことをすればいい。それに間違いないはずで、その通り生きているのに、時々心の声がする、こんな勉強役に立たない、なんてつまらないんだ、暗記ごっこじゃないか。もちろんそんな魔の声は速攻で振り払って、いつも通り過ごすのです。
自分も親も学校も友達も近所の人も、このやり方で生きているのだから正しいはずだ、直接役に立たない勉強も将来の自分の選択肢を広げてくれるはず、やりたいことは後で見つければいい、世間で立派な人が普通とする生き方に異存はない。
それなのに、つまらない会社で、役に立たない物をつくり、役に立たない物を売る、時間の切り売りで一生を終えるなんてくだらない、などという心の声が中学生になったくらいから、絶えず聞えるようになる。念を押しておきますが幻聴じゃないですよ、自問自答です。
追い払っても追い払っても、こういう魔の声、尾崎豊をだめにしたようなメッセージが、不良少年のいいわけが、まるで自分の本心であるかのように、自分にまとわりつく。
これを認めると、自分の人生が全部間違っていたということになる。この心の声に従えばそういうことになる。つまらない勉強とつまらない仕事のために、全身全霊をこめてがんばってきた自分は、何をしているのかわからなくなる。当然そんな考えを認めたら人生が全部なくなってしまうので、何度でも振り払うのですが、最後はどうしようもなくなって、自分の本当の考えと自分の行動が一致する、つまりひきこもりが始まる。
こんな思い出はひきこもりの初歩の初歩ですが、本も絶版になったことだし、この辺で確認のためにも書いておきますよ。
コメント
このブログが人生の楽しみの手伝いになるのなら
これに勝る喜びはありません。
本来あるべき場所に戻ってこられたことを
祝福しましょう。
これからはキープ・オン・ひきこもりでお願いします。
勝山兄さん、お久しぶりです。
覚えておられますでしょうか?
引きこもりなのに社会復帰をひたすら目指し、その果てにくたびれ果ててここに戻って参りました。
人生、80年。
70年の人もいれば、60年の人もいる。
そんな中で、あくせく働いてどうするのでしょう。
学者を軽視して、勤め人を最重要視する。
そんな社会に、もう疲れました。
本を持っていない僕にはありがたい記事です。
人間にとってつまらないことほど苦痛なものはないですからね。(言ってて色々と自分に突き刺さる言葉ではありますが)
このブログのおかげでつまらない人生をそれなりに楽しむことができるようになりました。