人間的に深みがない面白みがない、つまりだしがきいていない。料理の決め手がだしの旨味であるように、人間もだしがきいていないと薄っぺらでつまらない。個性とはだしのことである。料理のだしは昆布や鰹節、煮干等を煮込めば作れる、では人間のだしはどうやって作るのか。
ひきこもることによって人間の「だし」はでる。人生のうまみ深み面白み厚み濃くまろやかさがでる、ひきこもりはだしのオーケストラだ。ひきこもっていなくても多少ならだしらしきものも出るが、インスタントの味の素のようなもので味気ない。食えない人間、魅力のない人間、ひきこもらずにしっかりと天然だしをとらずに生きたゆえにこんなつまらない人間になってしまったのだ。ひきこもることはまともな人生の料理人の義務である。
世の中にはいろんな人生の「だし」がある。だしの王様、ひきこもりだし。最も人気のある受験浪人だし。くせのある味が魅力のの留年だし。今話題のいじめだし、ニートだし。年配の人にも人気の失業だし、無職だし。深すぎる味わいの離婚だし。これ以外にも多数のだしがある。君にも覚えがあるはずだ、ほろ苦い体験の後にじわぁっと出るあのだしの感覚。もしそんな経験が一度もないとしたら…、そんなつまらない人間は死んだほうがましだ。
だしが出てないってことは個性がないということ。哲学も信念も意思もない顔がない、海を漂うクラゲのようなもの。どう生きるか、自分とは何かいっさいがっさい、その人から出るだしが決め手になる。だしが足りない、だしが出ていない、だしをとり忘れたと気づいた人はすぐにひきこもるべきだ。
世の中にはひきこもっている人に、いつまでだしを取っているんだ、とっとと料理をだせ、何でもいいから作ってだせと催促する奴らもいる。だしとは料理人の心意気、それが分からない薄っぺらな奴らの声に耳を貸す必要などない、本物のだしをとろう。
だしがきいていると思う有名人。安部譲二先生などどうだろうか。肩書きを作家・タレントと言うよりは「だし」にしたほうがいい気がする。安部譲二先生クラスになると働かない、学校に行かないといったレベルではなく、シャバの空気を吸わないというブタ箱仕込みのひきこもりである。最高のだしが出るのも当然だ。無頼でありながらどことなく憎めない個性は一流のだしがきいている証拠であろう。