コメント

  1. 嫌なことを我慢して、がんばって働いている人たちこそ
    行き止まりに近づいている気がします。
    風林火山は武田信玄の言葉、と思っている人がいるかもしれませんが
    もともとは孫子の中に出てくる言葉です。
    実際はもっと長く、火と山の間に陰も入ったりする。
    「知り難きこと陰の如く」
    これは、ひきこもりの普段の生活のことだと思われます。

  2. >「親子でいがみ合うこと雷(いかずち)の如し」
    これ、ホントですか?
    だったら「風林火山雷(らい)」
    と読むのでしょうか?
    我が家は「いがみ合うこと嵐の如し」ですが……。

  3. ひきこもりの行き止まりというものを
    しっかり見届けるのが、ひきこもり中年男子の矜持というものでしょう。
    一般的には知られていませんが、風林火山には続きがあり
    「親子でいがみ合うこと雷(いかずち)の如し」
    で締めになります。

  4. ひきこもりの道は、その先を誰も知らないと思います。
    ひきこもりじゃない道は、多くの人が進んでいるので、なんとなくその先に道があるかのように感じますが、もしかするとこちらの多数派御一行様が進んでいる道が行き止まりの可能性もあります。
    ひきこもりの道が行き止まりというのは、少数派の人たちがそれぞれ一人でぽつぽつと進んでいくので、この先は道がないな・・・と感じてしまうだけなのでしょう。
    多くの表現者と呼ばれる人には、皆さん共通してひきこもれる環境があるような気がします。
    ひきこもらないで、みんなと同じ考えと行動をすることは、みんなと同じ考えと行動しかできないと考えられるからです。
    そんな多くの表現者、すでに他界している方たちの表現の中には、現在(表現時は未来)に起こるであろう事象をきちんと捉えています。
    という事は、ひきこもりはいかなる形であろうと、道は続いているのだろうと感じます。
    その道は必ずしも、惨めでさびしいだけの道ではないような気もします。
    時代はいつも変化するものです。
    アメリカなんかも変わってきました。もしかすると、日本に求めてくるものは多数派の考えではなく、少数派、ひきこもりの方々が得意とする追求型思考力を求められる可能性もありうるかもしれません。

  5. 『逃げ回ること風の如く
    引き篭もること林の如く
    批判すること火の如く
    働かざること山の如し』
    という言葉を知りました
    なんだか力が沸いてきました

  6. 終わらないですね。
    この道しか知りません。
    それなら行きましょう、どこまでも。
    勝山さん、微力ながら
    応援しています。

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